コッペリア

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 外が真っ暗になり、夕食の時間になった。夕食はここ数日お兄様と二人きりだった。お父様はお忙しいらしい。みんな口に出さないけど、はやり病の被害が深刻らしい。  夜、ベッドに入ってしばらく経つのになかなか眠れなかった。カーテンの隙間から入ってくる満月の明かりが眩しすぎるせいだと言い訳をして体を起こす。  本当は寝るのが怖いのだ。眠って次に起きた時、また記憶がなくなっていたらと考えてしまう。今までのことがなかったことになってしまう。そもそも元々の僕ですらない今の僕は、存在しなかったことになってしまうのではないか。  そう考え始めてしまうと、もう眠れない。  こっそりと部屋を出る。暗く、最低限の明かりしか灯されていない廊下は少し不気味だった。誰かに見つかったら怒られてしまうかもしれない、そう思うと足取りは慎重になった。  植物園は、満月のおかげで明かりを点けなくてもよく見えた。ガラス越しに見える外の景色も、暗闇ではなくうっすら見える。この植物園からは湖が見えた。その湖が月光を反射して輝いている。普段なら植物園内の派手さに負けてしまう景色も、今だけは勝ち誇っているかのように綺麗だった。  湖には別館が建っていて、今は黒いシルエットになって見えている。別館は湖の小島に建てられていて、宮殿の二階からのびる橋のような廊下を渡らないと行き来できない。そこではお母さまを含めた病人たちが隔離され治療をうけているため、もちろん行くことは禁止されている。  お母様もこのキラキラした景色を見ているにだろうか。いつか病気がなくなって、あの別館へ行けるようになったら、そこからキラキラ輝く湖を一緒に見てみたい。早くそうなればいいのに。  突然、人の気配がした。足音も何も聞こえなかったのに、すぐ後ろに誰かがいる気がする。ゆっくり、後ろを振り向く。気のせいであってほしいと願った。でも、誰かいた。  少女が立っていた。  少女は名家のご令嬢のような、ふんだんにフリルを使ったドレスを着ていた。年は僕と変わらないくらいだろうか。この家に、年の近い女の子がいるとは聞いていない。誰? と訊きたかったが、混乱していて言葉が出てこない。  少女はにやりと笑った。  「悪い子」  少女の笑顔は家族や使用人たちが浮かべるものとはまるで違い、邪悪で人を傷つけようとするものだった。
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