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4 少女時代
小学生時代がオンラインゲームのおかげであっという間に終わり、星奈は中学に入学した。クラスメイトの半分は同じ小学校からの出身で大きく変わり映えはなかったが、自由な私服からブレザーの制服に代わると皆、とても大人っぽく見えた。
特に星奈は身長が高めで、母の奈保子をすでに越している。まだまだあどけない顔つきではあるが、母親と二人で歩く後ろ姿は大人二人に見えた。
部活動を考える時期がくるとバスケット部から「すぐレギュラーだよ」と声を掛けられたが星奈自身、スポーツが苦手ではないものの好戦的な性格ではないので断った。また試合などがあってもきっと家族が見に来てくれる余裕はないはずだと思い、活動の盛んな運動部を避けた。
実際には帰宅部でもよいと思っていたし、早く帰って『Knight Road』にログインして遊びたいくらいだった。しかし仲の良い月姫とミストが部活動には絶対した方がいいと言う。
この一年の間に月姫とは家族よりも会話を交わしていた。出会ったときは女性だと思っていたが、月姫は一つ年上の少年で二人の姉がいるらしい。たまに家族の愚痴を言い合うこともあった。
キャラクターがウサギで女のせいか、他のプレイヤーにも勘違いされることが多い。実際にもクラスメイトの男子と違い、男臭さがなく優しくて中性的な印象なので女性と言われても違和感がない。
心の中で星奈はこっそり『お姉ちゃん』だと思っている。
ミストはあまり雑談をしないが月姫が絡んでいくと軽快で面白い。どうやら社会人のようだ。つかみどころのない人ではあるが、プレイスキルが高く課金もしているようなのでゲーム内ではなかなか強い。オンラインゲームに接続することは星奈にとって友達に会いに行くことに近かった。
二人の好きなことをした方がいいと言う意見も取り入れ、消去法で考えた結果、週に三日活動する茶道部に入ることにした。これなら負担も少ないし美味しいお茶とお菓子もいただける。
家族に話すと反対する者は誰もいなかった。思った通り、奈保子は自分にかかる負担が少ないことに安堵したようだ。
修一は中学時代には水泳部に所属していた。喘息の改善のため幼いころからスイミングスクールに通い、その延長だったのだが、大会のたびの親の送迎、父母会、ママ友との付き合いに辟易していたようだ。そのことを大っぴらには話さないが奈保子は「女らしくていいわ」と星奈の選択を褒めた。
兄の修一が「上手くなったら抹茶飲ませて」と言ってくれたので嬉しかった。父親の伸二はあまり関心がないようだが「三年間続けるんだぞ」と威厳をもって星奈に伝えた。
「星奈さんは道具の扱いが丁寧ねえ」
志野の茶碗を優しく茶巾で拭いていると、茶道部の指導をしている池波静乃から声を掛けられた。
「あ、ありがとうございます」
星奈は恐縮して頭を下げた。
「ごくろうさま」
温和な声とほほ笑みを残して池波静乃はスッと音もなく部室を去っていった。
ほーっと息を吐いて緊張を解く星奈に、同じく茶道部員の新田美優が軽く肩を叩く。
「おつかれっ。先生に褒められていいじゃん」
「ん。池波先生気配感じないからびっくりする」
「だねえー。なんか、忍者ぽい?」
「くのいちじゃない?」
「池波先生ってもう九十歳近いんだってさ」
「えっ。ほんと? せいぜい七十かと思ってた」
お茶の先生がいなくなり緊張が緩み星奈と美優は軽快になっていた。そこへ顧問の教師、岸谷京香がやってきて一喝する。
「こらっ、そこ。お話しするならもっと上品になさい」
星奈と美優は見合わせて「はーい」と返事をした。
茶道は全く経験がなかった星奈ではあるが、他の部員も同様で気後れすることはなかった。感覚も似ているのだろうか、おっとりして競争意識も低く平和な部活動だった。指導に当たる池波静乃は高齢ではあるが、いつも凛とした和服姿の背筋は美しかった。小柄で新入生よりも小さいのに存在感が大きく、彼女のオーラともいえる雰囲気は女子中学生でざわめいた茶室を一瞬にして静かな林のように変える。
「いい茶碗はね。見込みが深くて宇宙の様なのよ」
毎回なぞかけの様な不思議なことを教えられる。星奈も含め部員たちは教えを理解しているかと言えばおそらくしてはいない。お手前のやり方は覚えられても、精神性まで理解するにはまだまだ先のことなのだろう。
それでも星奈は何か深淵なものに触れる気がして静乃の話を真剣に聞いた。自分の手の中の空っぽになった抹茶茶碗を見つめる。(ここに宇宙があるのかあ……。)
この町は海がない。県自体が海に接してないのだ。山に囲まれ少し狭い気がする。しかし星奈はインターネットの中に別の世界があり、手のひらに宇宙があることを想うと心が軽くなる気がした。
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