駅前の書店

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駅前の書店

六月の梅雨の晴れ間。1日の仕事を終え、百香(ももか)は密集した人の波に乗りながら改札を出た。階段を降りて見上げた空には既に星が輝いている。やっと広い空間に出てホッと息を吐いた。 「はあー、ビール買おうっと」 ご機嫌で伸びをし、駅前のコンビニエンスストアに入る。明日は土曜で仕事は休みだ。久し振りに溜めていた本を読もうと決めていた。いや、その前に朝寝坊をするのだ。 四種類のアルコール飲料とツマミの入ったビニール袋をぶら下げ、明々としたコンビニを出た。まだ日の沈みきっていない薄紫の空の下、ご機嫌に家路につく。 百香の家はここから徒歩10分の1LDK。月4万円の物件だ。卒業したての22歳。初めて親元を離れての一人暮らしにようやく慣れてきた頃のことだった。 「あれ?」 ピタリと足が止まった。いつも帰りに通る道だったが、初めて気づいた。家までは少し遠回りだが、店が連なって比較的明るく、人通りの多い道。その道路沿いに、既にシャッターが下されている本屋があった。 「全然気づかなかった」 見上げると、古いトタン看板には『(かのう)書店』と書かれている。昔からある雰囲気の本屋だ。もしかしたらネットブームの影響を受けて潰れているかもしれない。 「潰れてないですよ」 百香の思考を見透かしたのか、後ろから低い男の声がした。 慌てて振り返ると、背の高いメガネの、スーツの男。七三分けのマッシュヘアとお洒落な髪型にも関わらず、くたびれた様子に野暮ったく見えた。 「6時で閉店です」 「そっ、そうなんですか! ご親切にどうもありがとうございます!」 慌てて深く頭を下げると、持っていたコンビニの袋の中で缶ビールがガコンとぶつかり合って音を立てた。 ーーハッ。スルメが透けて見えてる! 後ろ手に袋を隠し持つも、彼は気にしない様子で目を逸らした。 朝は10時からです。 そう言って、彼は去っていった。百香はぽかんとしてその後ろ姿を見送った。彼が遠くに行ってしまうと、もう一度看板を見上げる。開店時間を知っているところを見ると、常連客だろうか。 百香はもう一度彼の方を見たが、もうその姿は夜に溶けて見えなくなっていた。 「明日、来てみようかな」 呟いて、その店を後にした。
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