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どんぐり殺殺
そこに、赤と黒の色があった。 あたり一面の赤。 天を見上げれば、澄み切った秋の青空が広がっている。
しかし少年は、顔を上げることが出来なかった。
ただ目の前に広がる紅葉の森と絨毯と、その中心で戯(あそ)ぶ、少女の黒髪を見つめていた。
「どんぐりころころ、ドンブリコ。お池にはまって、さあ大変……」
少女は歌う。その小さな手には、黒く長い髪が握られていた。髪のついた、まるいものを鷲掴みに、紅葉の台地を歩いてくる。 ずるずる、二本の脚が紅葉を割く。
「どじょうが出て来て、今日は。坊ちゃん一緒に 遊びましょう」
少女は歌いながら、死骸を引きずってやってくる。
赤い森のなかに、小さな山小屋が建っていた。その軒先で、縛られた少年が震えている。 少女は骸を抱え直すと、地面にそっと横たえた。のけぞらせ、むき出しにした喉笛に、噛みつく。 糸切り歯が皮膚を裂く。 まだ体温の残る骸は、皮膚にもみずみずしさを湛えている。 ぷつん、ぷつんと、噛み切られる。 やがて小さな穴が開いた。
それを切り口に、少女は皮膚を指でつまんだ。千代紙を裂くように、びりびり、肉を引きちぎる。 すでに絶命している骸からは、鮮血は流れ出なかった。 ただどろりとした赤黒い塊が、紅葉に落ち、土へ流れていく。 びりびり、肉を引き裂く。 やがて現れる頸椎(けいつい)も、二本の指で、つまんでぷちん。 すこしだけ角度を変えて、びりびり、肉を裂いていく。
もののけが出るという、赤い森。杉もヒノキさえも真っ赤に染まるその森で、赤いヤマユリを摘んでみたいと、言い出したのは母だった。 そして母は赤くなる。鋭利な刃物ではなく、少女の指によってちぎられて、花のように開いた首の皮膚。 母の首が、ころりと落ちた。
「どんぐりころころ、よろこんで、しばらく一緒に 遊んだが。 やっぱりお山が恋しいと、泣いてはどじょうを困らせた」
少女が歌う。少年の前に、母親の首をぽいと投げた。 びちゃり。赤い水たまりが跳ねる。 ついさきほど、父と兄が漏らした血だまりだった。 母の首はころりころりと転がって、少年のすぐそば、二つ並んだ生首の傍に落ち着いた。
「どんぐりころころ、ドンブリコ。お池にはまってさあ大変……」
「ひいい!」 という、悲鳴は、少年があげたものではない。 後ろの山小屋にいた妹だった。身を隠し、決して外を見てはならないと言ったのに。 窓ガラスに映る妹を、少女は赤い瞳で見つめる。 そして白い足で、歩きはじめた。
歌はずっと続いている。 狂ったレコードプレーヤーのように、果てしなくそれだけを歌い続けている。
「どじょうが出て来て、今日は。坊ちゃん一緒に遊びましょう。 どんぐりころころ、よろこんで、しばらく一緒に遊んだが――」
「ひいいいいい!」 妹の悲鳴が重なる。
年の離れた、かわいい妹だった。名前は兄である少年がつけた。 そうさせてくれた、優しい母と父だった。
「やっぱりお山が恋しいと、泣いてはどじょうを困らせた」
少女が山小屋に入っていった。 妹の悲鳴がやんだ。
少年の後ろで、窓が開く。小屋の中から、ぽいと小さな弧を描き、小さな頭蓋が飛んできた。 びちゃり、ころころ。 家族四人、なかよく並ぶ。
「どんぐりころころ、ドンブリコ。お池にはまってさあ大変」
窓から二本の手が伸びる。 白く華奢な、少女の手。 赤い紅葉を見つめたままの、少年の頬をそうっと撫でて。
後頭部で、歌が続いている。
「どじょうが出て来て、今日は。坊ちゃん、一緒に、遊びましょう……」
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