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退屈なはずのただ待つという時間も、腕の中のカサブランカの香りが退屈しのぎさせてくれた。
「それにしても・・・」
改めて門を見上げる。見れば見る程、この門の奥にはお寺か城があるのではないかと思ってしまう。門に使われた木は相当に古く所々が白く変色しているものの、それが逆にこの奥にあるものが由緒あるものだと物語っているようで少しわくわくする。こんな凄い屋敷なのだから、使用人くらいいそうなものだ。私はもう一度インターフォンを押してみた。が・・・、やはり結果は同じ。誰からの応答もなかった。小さくため息をついて、重厚な門に背中を預けて腕の中のカサブランカに視線を落とす。ユリの中でもひと際大きくて強い香りを放つカサブランカの花言葉は7つあると、以前父が言っていたのを思い出した。
「えっと・・・・確か・・・」
父から聞いた言葉を頭の中の記憶から探し出す。
「高貴、純粋、無垢、威厳、祝福、、壮大な美しさ・・・・・・」
指を折りながらひとつづつ口に出して言ってみたものの、あと2つが思い出せない。
「えっと・・・・あと2つはなんだっけ?」
じっと自らの指を見ながら考えていた時だった。
「雄大な愛・・・、そして甘美だよ」
「あぁ!そうそう、雄大な愛と甘美・・・・って、えっ?」
気が付けば目の前に私と同年代の男の子が立っていた。背は私よりも高く、手足が長い。くっきりした二重の大きな目を見たとき、私は息を飲んだ。綺麗という言葉を、男の人に使ってもいいのだろうか。まるで作られたような綺麗な鼻、少し小さめの口。生まれて初めて、男の人に見とれていた。
「うちになんか用?」
その言葉にはっとして我に返る。
「えっと、あのフラワー桜庭です。カサブランカを届けに来ました」
そう言ってカサブランカを差し出すと、自分が店のエプロンをつけたまま来てしまったことに気づいた。恥ずかしくて俯いたままでいると頭の上から声した。
「カサブランカ?」
彼は怪訝そうに私の抱えるカサブランカを見た後で、何かを納得したように小さく頷くと「来て」と一言だけ告げて、門のすぐ隣にある小さな扉を開けていとも簡単に屋敷の中に入っていった。
「なんだ・・・・この門が開くんじゃないんだ・・・・」
少しがっかりしながらも、彼に続いて門の隣の小さな扉を潜った私は、目の前の光景に息を飲んだ。
広大・・・という言葉を、知ってはいてもこれまでの人生であまり使ったことはなかった。でも今目の前に広がるそれは、まさに広大という言葉がしっくりくる。門から屋敷に続く石畳。左右には季節の花が所狭しと植えられて奥には木が何本も植えられまるで森のようである。その森の奥に敷地の終わりは見えない。屋敷は平屋の日本家屋で大きな玄関、長い縁側、まるでタイムスリップしてしまったかのような錯覚に陥る。
「ねぇ、いつまでそうして突っ立ってるの?」
はっとして見ると、彼が呆れたように私を見ていた。
「あの・・・これ」
再びカサブランカを差し出すと、彼は一度視線を宙に彷徨わせた後で私を見ないまま言う。
「ねぇ、君ならそれどうする?」
「え?」
言われていることの意味が分からなかった。
「その花、君ならどうするかって聞いてんだけど?」
「えっと・・・・部屋に飾り・・・ます」
「じゃぁ飾ってよ」
「えっ?それってどういう・・・あっ、ちょっと」
石畳を渡り屋敷に向かってしまう彼を、私は慌てて後を追った。
「ねぇ、この花はあなたが世話してるんですか?」
石畳の両側には、鈴蘭が可愛らしい花をつけ首を垂れている。その他にもポピーにライラック、シャクヤク、薔薇、奥の木々はハナミズキだろうか。白く可憐な花が咲き乱れている。
「ちがう・・・俺は別にそういうの興味ないから・・・・」
「そう・・・でもこれだけの庭をここまで手入れするのは大変でしょう?家族の方がしているの?」
「まぁ・・・・そんなとこ」
あまり話したくないのか、彼は私の問いかけにぶっきらぼうに答えた。
玄関の引き戸を開けると、カラカラと小気味の良い音が響く。
「どうぞ」
「あ・・・はい」
玄関が私の部屋より広かった・・・・・。大きな見開きの屏風には水墨画が描かれている。玄関に屏風なんて歴史の資料集でしか見たことがない。
「凄い・・・家ですね」
「そう?まぁ・・・そうかもね。でも、ただの古い家だよ。あがって」
頷き靴を揃えて彼の後に続く。縁側越しに和室に入る。一部屋10畳以上はある和室が3部屋繋がっていた。目の前の彼が着物を着て丁髷を結っていないことが、唯一タイムスリップしたわけじゃないと確認できるてがかりだ。それほどに門の中の空間は何百年も前にひっそりと時を止めてしまったかのようだった。
部屋の中に私の見慣れた家具らしい家具はほとんどない。その代わりにあるのは囲炉裏に、灯篭、開かれた本が無造作に置かれた木製の書見台に、複雑な彫刻が施された飾り棚。その光景に息をするのも忘れて見入っている私に、彼が押し入れを開けて声をかけた。
「ねぇここに花瓶があるから。好きなの使ってそれ入れてよ」
「え?私が?」
「うん。だって俺・・・そういうのよくわからないし」
「・・・・わかりました・・・あの、花切り鋏とかってありますか?」
「うん。そこに。それと・・・水は縁側降りたところに水道があるから使って」
見れば縁側に無造作に置かれた花切り鋏がぽつんと置かれている。少し泥がついていて、まるで今さっきまで庭を手入れしていたかのようだ。私はその鋏を手に取ると、いくつかある花瓶の中から底の深いものを選び、カサブランカの花束を広げた。1本1本、丁寧に活けてゆきすべての花を花瓶に収めた頃、彼が手にしたお盆にお茶を持ってきた。
「ありがとう、助かったよ。これ、飲んでって」
「いえ・・・・こちらこそ・・・・」
活けたばかりのカサブランカを挟んで彼が持ってきたお茶を手にする。品の良いガラスのコップの中で氷がカランと音を立てた。遠慮がちに彼に視線を向けると、服の裾に少しだけ泥がついているのが見える。
「ねぇ、やっぱりこの庭、貴方が手入れしているんじゃないですか?」
「違うよ。俺じゃない」
「そう・・・・ですか」
会話が終わってしまった。こんな時思う。美緒ならもっと楽しい話題を振ってであったばかりの彼とも楽しい時間をすごせるのだろう。何か話さなくてはと思えば思うほど、頭の中から会話のきっかけが消えていく。その状況に焦れば焦るほど、もう1人の私が冷静に「なんでこんなところで、お茶飲んでんのよ!」と突っ込む。いや、独り言で会話を成立させている場合ではないのだ。とにかく何か話さなければ!と、下唇をきゅっと噛んだ時だった。
「ねぇ、君いくつ?」
彼の方から話しかけてくれたことに、心底ほっとする。
「えっと・・・16歳。あ、でももうすぐ17歳です」
「そうか・・・・じゃあ俺と同じだ。あ、それと敬語とかいらないから」
「え・・・・あぁ、、うん。えっと・・・それじゃぁ君も高2ってこと?」
「一応・・・・ね」
そう言って笑った彼の笑顔に、思わずごくりと唾をのんだ。他人の笑顔を見て、ずっと見ていたいと思ったのは初めてだ。それに、人とは不思議なものだ。同い年だとわかっただけで、少しだけ緊張感が溶ける。
「私、桜庭初華っていうの。あなたは?」
「・・・・・・剣真」
「剣真くん?なんか、、、かっこいい名前だね」
「そう?」
彼が私を見て、また笑った。私の意識とは関係なく、鼓動が跳ねる。左目の下にある泣き黒子があることに初めて気づいた。なんて優しく笑う人だろう。なんとなくこの時間が終わってしまうのが嫌で、私は彼に質問をぶつける。
「あのさ・・・、学校はどこ?高校生でしょ?」
「うん、一応・・・・・、郁栄高校」
「郁栄?」
その名前を聞いて、はっとする。門には椎名とあった。
「ねぇっ!」
興奮気味に声をかけると剣真くんは少し驚いたように私を見る。
「もしかして、この春転校してきた?私も郁栄なの。クラスにね転校生がきたんだけど・・・・もしかしてそれって・・・・」
「あー・・・・」
剣真くんはどこか困った様子で頬をかきながら、くすりと笑った。
「うん、それは・・・・多分そう。でも俺じゃないかな・・・・」
私は首を傾げた。
「それって・・・・どういうこと?」
「うん・・・まぁ色々あって・・・・。でもそうか・・・・学校には初華がいるのか・・・・それなら行ってみるのもいいかもしれない」
そう言って笑った剣真くんから私は目を離すことができなかった。大人っぽく見える剣真くんが、笑うと妙に無邪気に見えた。見るたびに発見することが、嬉しくてたまらない。自分の中のもうひとりの自分が、胸の中で囁く。
『出会うべくして出会う人』
私はこの時、彼に恋をしたのだ。いや違う。落ちたのだ。
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