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どしゃぶりの雨から守った忠犬も、役目を終えればただの邪魔な道具。
手を塞ぐものなど煩わしいと、すし詰め状態の傘置き場に、俺は無理矢理ねじ込まれた。
主人を雨から守ったご褒美は、常にこの雑な仕打ち。
ひしめき合っている周りの傘たちも、皆似たようなもの。
ここ、マンモス校の傘置き場は、行き場のない湿気と、どうしようもない不満に満ちていた。
そんな場所で俺たち傘は、主人の帰りをただ待つしかできない。
少しでも周りの迷惑にならないよう、できれば羽はたたんで休みたかった。俺の心など、俺の主人が汲んでくれることはない。
幾度も地面に削られてすり減った足に、雨粒が集まっていく。
冷たい滴が傷にじんわり滲み、寝て休もうにも眠れそうにない。
SHRの予鈴が鳴る。主人の帰りは、まだずっと先だ。
予鈴と重なって、玄関から濡れた靴音が響き、そしてやってくる。
足音の主は玄関に着くと、傘のたたんだ羽を手早く丁寧に巻いて、ベルトで留める。
ぎゅうぎゅう詰めの傘置き場を前に、その主は一瞬悩んだ様子を見せた後、遠慮がちな手で端の方にいた俺を押し退けた。
わずかにできた空きスペースに、きれいにたたまれた傘が入れられる。
「あ、あの……ごめんなさい……!」
雨の雫を上から降らせながら、慌ててその傘は俺に謝ってきた。
「気にしなくていいよ。傘置き場が狭すぎなのが悪いんだし」
──嬉しかった。
そう思ったことは、言葉には出さなかった。
俺の横に自分の傘をすとんと優しく入れ、持ち主の少女は急ぎ靴を履き替え、教室へ走っていく。
そんな持ち主に似て可愛らしい、丸みを帯びたデザイン。同じビニール素材だというのに、これでもかとあふれ出る気品。そして、持ち主のしたことにまで謝りを入れてくる律儀さ。
俺の横にインした隣人、いや隣傘は、さすがブランドものの傘だった。
佇まいから何から、彼女の全てが俺とはまるで違う。100均出身の俺が隣でごめんなさいと、今からでも謝るべきだろうか。
持ち主が去っていった方を、ブランド傘の彼女は寂しそうに見つめ続けている。
外見から見て、彼女はまだ買われたばかりのようだ。ここまで大きい傘置き場には、慣れていないのかもしれない。
「──きみの持ち主は、とてもいい人だね」
「えっ!?」
「あ。驚かせてごめん」
「いっ、いえっ……私こそ、すみません……」
こうして同類に話しかけられること自体、慣れていないのだろうか。とてもおどおどとしている。
俺も最初は、こんなだったかな……遥か昔のことすぎて、憶えちゃいない。
「わざわざこんなこと言われるの、ウザいかもだけど……今時は大事にしてもらえるコト、中々ないから」
「そ、そうなんですか?」
「うん。まあ君みたいなタイプだと……いや、そこはいいんだ」
「?」
ブランド傘は値段も高いから、どんな人間だって大事にするものだろう──そんな野暮か嫌味を言うために、話しかけたわけじゃない。
「高校生が、あんなに丁寧な傘の扱い方するの……俺けっこう長く傘やってるけど、久しぶりに見た」
「そ……そうですか!」
声も表情も、その一瞬で彼女のすべてが晴れやかになった。
「いいことを教えて頂きました……ふふっ」
自分のことを褒められたみたいに、すっごく喜んでいる。さっきまではあんなにおどおどしていたし、外では雨に降られてきたばかりなのに。
その笑顔の、なんと朗らかなことだろう。花でも咲かせてくれそうな勢いだ。
「そんなにまで喜ぶとは思わなかった」
「えっ、喜ばない方が良かったですか!?」
「いやそんなことないけど」
「そうですか!」
初々しいというか、素直すぎるというか……。
持ち主だけでなく傘の方も、まだこんな娘がいたのかと思わせられる。
持ち主と彼女、きっといい相棒になるだろう。
余計な邪魔でも入らない限りは……。
そう、思った時だった。
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