サナギマンとぼく。本編

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サナギマンとぼく。本編

 ある日、お父さんが "あおむし" を拾ってきた。  道に落ちていたらしい。 『夏休みの自由研究の題材にしたらどうだ?』 お父さんはそう言って、ぼくに "あおむし" を手渡した。  ぼくは、初めてあんな "あおむし" を見た。  新緑(しんりょく)色に、黒の模様が入った、新幹線みたいな形のかっこいいやつだ。  分厚い図鑑を(めく)って、彼が何を食べるのか調べた。  これはクロアゲハといって、山椒(さんしょう)蜜柑(みかん)などの葉っぱを食べるらしい。  前に、お父さんに山椒の木を教えてもらったことがあったぼくは、近所の公園まで走って行って目的の木から一枝、ぽきりと折った。   "あおむし" の食べ物を調達だ。 ぼくが置いた枝を見つけた "あおむし" は、嬉しそうに這い回り「うーん」と言いたげに伸びをした。  その身体からは想像も出来ないくらい、 "あおむし" は食べまくった。ぼくは、毎日葉っぱを摘んで来なくてはならなかった。  虫かごの掃除も忘れない。彼は信じられなくらい、食べては(ふん)をして――それを繰り返した。  とある、夏の暑さがかげった朝に、いつものように虫かごを覗き込むと、あおむしは(さなぎ)になっていた。蛹はどこか宇宙的でかっこよかった。  ぼくはそれをサナギマンと名付け、見守ることにした。  ところがサナギマンは、待てど暮らせど、蝶にならなかった。  諦めかけた頃、やっとサナギマンの背中が割れた。  時間をかけて、枯れ葉色の蛹の中から黒い蝶が身を震わせながら必死に這い出てくる。その様子をぼくは息を飲んで、それを見つめた。  どきどきした。  サナギマンはじっと動かず、脱ぎ捨てた蛹にぶら下がっていた。  そして、濡れた(はね)が乾くと、虫かごの中をそれはそれは美しく、ひらひらと飛び回った。  だけど、もう冬が近付いていた。  弱っていく蝶が、だんだん色褪せていくように見えて、ぼくは悲しかった。  花の蜜の代わりの砂糖水にも、寄りつかない。  きっともうすぐ死んでしまうんだろう。  ぼくは、再び図鑑を開いた。  そして "虫ピン" と "展翅台(てんしだい)" を用意することに決めた。  だけど、たくさんの道具を買うほど、ぼくはお金を持っていなかった。  お母さんの裁縫箱(さいほうばこ)から、まち針をひとセットもらい、材木屋の周りに落ちていた端材を拾うと、ガムテープでくっつけて、即席(そくせき)の "展翅台" を作った。  見よう見まねだったから、少し歪んでいたけれど、なんとかそれっぽい形になった。  パラフィン紙は、クッキーの包み紙で代用した。  図鑑に書いてあった通りに、暴れる蝶の腹を押すと、嘘みたいに静かになった。  そしてぼくは、蝶にピンを刺した。  そう、ぼくの育てたあおむしなのだから、勝手に死ぬなんて許さない。  毎日葉っぱを摘んでは与えたのだから。  名前も付け直した。  蝶々さんだ。こんなにも綺麗なのだから、メスということにした。  それはもう二年以上、前の話。  それからぼくは、毎年たくさんの蝶を自分のものにした。  誰にも渡さない。ぼくのものだ。  箱の中の蝶々さんはずっと美しいまま、今もここにいる。
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