1-7 契約

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1-7 契約

昨夜は眠りが浅かった。 ベットはふかふかで、リラックスできる良い香りが充満する部屋の中で横になったのだが。 昨日の事と今日の事を考えたり、元の世界に残した人達を心配すると、なかなかゆっくりと眠ることができなかった。 ハルナ自身は図太い性格と思っているようだが、他人の評価は繊細と判断されることが多かった。 フウカも隣で寝ている。 精霊も睡眠が必要かわからないが、今までもハルナの胸元で寝ていたので眠るのだろう。 そういうことで、この世界で初めての夜を、とても長い夜で過ごした。 活動の時間が訪れたのか、メイドがハルナを起こしにきた。 (コンコン——カチャ) 「ハルナ様、もう少しで朝食のご用意ができますので、ご支度をお願いします」 「はい、ありがとうございます」 「それでは、また後程お迎えに参りますので」 そういうとお辞儀をし、退室した。 ハルナは、欠伸をしながら部屋に用意された服を着て、髪の毛を整えて準備をした。 同じ時間にフウカも目覚めて、ハルナの首元に寝惚けたまましがみついた。 丁度、支度が終わったところで、メイドがハルナを呼びに来て食堂へ案内する。 食堂には既にエレーナが着席していた。 「ハルナ、おはよう。昨日は眠れた?」 「う、うん。まぁね。いいベットだし、緊張しちゃった」 「すぐに慣れるわよ。それに今日は朝食の後すぐに始まりの場所まで行くからね、しっかり食べて力をつけてね!」 そういうと、すぐにテーブルには食事が運ばれてきた。 スープとサラダとパンだった。 食事をしながら、エレーナは今日の予定を説明してくれる。 まずはこの後、関所まで馬車で移動し、そこから始まりの場所まで徒歩でいく。 徒歩での移動の間、先日とは異なり自衛の兵隊が同行する。 契約対象者に、ケガや万が一のことがあってはならないためだ。 そして、契約が完了次第、町に戻り契約した精霊の内容を確認する予定とのことだった。 食事も終わり、メイドがお茶を用意し食器を片付け始める。 このお茶を飲み終えたら、出発の準備に取り掛かる。 「では、そろそろ行きましょうか」 エレーナはそう言って、席を立った。 ハルナは先ほどの部屋に案内され、用意されていた外出用のローブをまとった。 エレーナはハルナを呼びに行き、一緒にエントランスまで向かう。 そこには、昨日乗った馬車が待っていた。 アルベルトが、馬車の入り口で踏み台を用意して待っている。 「おはよございます。エレーナ様、ハルナ様。お気を付けていってらっしゃいませ」 「アルベルトさん、おはようございます」 ハルナは挨拶を返してアルベルトの手を借りて、馬車に乗り込む。 続いてエレーナも手を借りて乗り込むが、会話はない。 おかしなことに目も、合わせることはなかった。 そして、馬車のドアが閉められ馬車は動き出す。 見送るアルベルトと二人のメイドは、頭を下げたままで見送っていた。 (これじゃ、手を振っても見えないわね) ハルナは諦めた。 そして門を出て、街中をある程度走った頃、ハルナは問う。 「……エレーナとアルベルトはどういう関係なの?」 ——ガタッ! 絵に描いたような動揺を見せる。 「ちょっ! バ—— な!」 言葉になっていない、エレーナの様子を見てハルナは笑った。 「エレーナは、アルベルトのことが好きなんだね」 ハルナは核心を突く。 見事なまでに耳まで真っ赤なエレーナは、すごい顔をしてハルナを睨む。 「私たちは、そんなのじゃないのよ! アルは、ただの執事で……昔からの腐れ縁なの!」 ハルナの中で、フラグが立つ。 これは完全にラブコメ的な展開になることが、予測できる。 「へー……そうなんだぁ。 今はそういうことにしておくわ!」 ハルナは意地悪に答えた。 今度ゆっくりと事情聴取しようと決めた。 そんな甘酸っぱい乙女の会話をしている間に、関所の門が見える道に出てきた。 ターミナルに馬車を止めると、御者が降りる準備を整えてドアを開けた。 二人が馬車を降りると、昨日の訓練所で見た指導員が一名とあの三名がエレーナを待っていた。 指導員は、お辞儀をしてエレーナに近付いてくる。 「おはようございます、エレーナ様。本日は、よろしくお願い致します」 「こちらこそ、よろしく。もう、準備はできてるのかしら?」 エレーナは落ち着いたようで、先程の顔の赤みは完全に消えていおり、少し血行の良い顔付きになっていた。 「はい、いつでも出発可能です」 エレーナは、今回のメンバーを集めて話をした。 「皆さんがこの場に選ばれたことを、大変嬉しく思います。しかし、今日が本番です。精霊様とのご縁がみなさんに訪れるように願っております。 では出発しましょう!」 「「「はい!」」」 三名は力強く返事をする。 一行は門をくぐり、町の外に出た。 そこから、徒歩で始まりの場所を目指すこととなる。 公園を抜けて、森の中に入ると湿って澄んだ綺麗な空気だ。 ハルナはその空気を胸いっぱいに吸い込む。 その様子を見ていた、三人の中で一番前を歩いていたオリーブが真似をして、胸に新鮮な空気を吸い込んだ。 二、三回繰り返すと、不思議と落ち着いた気持ちになる。実際、緊張していた顔が優しくなっていた。 この三人で最年長はオリーブだった。前回は選ばれず悔しい思いをしていた。 ソルベティとアイリスは一年目にして挑戦権を得ている。そのため、見た目もすごく若い。自信に溢れているのか、失敗してもまだ後があるからか。緊張もなくリラックスして二人でお喋りをしながら歩いていた。 狼に襲われた場所も通過して、今までは何も問題もなく歩いてきている。 こんなに大勢で歩いていれば、大抵の生き物は襲ってこないだろう。 知恵のある敵意を持った人でもなければ。 そして、一同はたどり着いた。 初めてハルナがこの世界に降り立った『始まりの場所』。 木々の間からちょうど円形のライトが当てられたように、地面のふかふかの緑の絨毯を照らしている。 枝についた葉の雫が、光でキラキラと輝く。 今はまだ、あの雪のような物体は降ってきてない。 これと契約については、人の力ではどうにもしようがない。 一行は少し離れた場所に、荷物を置いた。 指導員は三人を集め、説明をする。 「これからあなた達は、あの光の当たる場所に入ってもらいます。精霊様が現れると雪のようなものが落ちてきます。その時にあなた達は、何もしてはいけません。ただ、精霊様にその身を委ねるのです」 オリーブは落ち着いているが、残りの二人はソワソワして落ち着きがない。 「今までもお伝えしている通り、精霊様が身体に触れても怖がる必要はありません。体に触れると消えてしまう場合は、契約不成立です。消えなければ成立と考えてください」 指導員は淡々と伝える。しかし、ここまで来たなら成功を願う気持ちは強い。もう、この場で何も教えることはできないから。 精霊の意思に任せることしかできないから。 「気持ちを落ち着かせて、静かに祈りなさい。 私に言えることはこれだけです。あなた達はあの中から選ばれたのだから…… 精一杯頑張りなさい」 三人は目を丸くする。 今まで、こんな言葉をかけてもらった事はなかった。 自分達に厳しく、褒められることなどなかった日々。 「……先生」 三人は今、実感している。 私たちはみんなの想いも背負ってることを。 そんな姿を見て、エレーナは三人に声をかける。 「そろそろ、行きましょうか」 「「「はい!」」」 気持ちを落ち着かせるために、三人は顔を見合わせて頷く。 オリーブは、もう一度深呼吸して不安で満たされた空気を清々しい空気に入れ替える。 (——よし) オリーブは心の中で頷いて、歩き出す。 この中で一番年上だから、この二人を引っ張っていかなければという想いで。 それに合わせて、残りの二人も付いていく。 どうやら膝の震えも止まったようだ。 ハルナは口から心臓が飛び出してしまいそうに緊張している。 握った手は、もう汗まみれになっていた。 三人は、光の中に到着した。 そして、緑の絨毯の中に座った。 ハルナは思い出す。 あの中にいた時の気持ち良さを。 中の三人が、その気持ち良さに気付いてくれることを願った。 森にそよ風が一つ吹く。 (そろそろ降りてくるよ!) フウカが小さくハルナに伝える。 すると—— (あ。) あの中で最初に気付いたのは、オリーブだった。 ふわ…… ふわふわ…… 一つの白い物体が落ちると、次第に白い物体が降りてくる。 (きれい……!) オリーブはその不思議な景色に見惚れる。 そして、次第にその物体は自分に近付いてきた。 思わず手のひらを出してしまう。 すると物体の一つが、手のひらの上に落ちた。 (わぁ、軽ーい) オリーブは、嬉しくなる。 しかも、ずっと消えずにそのまま手のひらの上で遊んでいた。 すると、その物体は浮かび上がり、オリーブの周りをクルクルと周り初めた。 その動きは、風が吹いても流されることなく自分の意思で浮かんでいた。 オリーブは、その動きのかわいさに嬉しくなる。 先程の不安は、記憶の底に沈んでしまっている。 (こんにちは) オリーブが心の中で呟くと、その物体は肩に止まった。 その様子を見ていた指導員がオリーブに合図を送る。 (そのまま、こっちに来なさい) オリーブはゆっくりと立ち上がり、光の外に向かって歩き出すした。 すると、その物体はオリーブを追って付いてくる。 そのまま、オリーブはエレーナ達の元に戻ってきた。 しかし、喜んではいられない。 残りの二人がまだ契約交渉中なのである。 指導員はオリーブから目線を離し、ソルベティとアイリスを見守る。 二人はオリーブがこの場からいなくなったことに、焦りを感じていた。 この状況がいつまで続くのか、どうすれば精霊に気に入ってもらえるのか。 もしも契約できなかったら…… 不安に心が押し潰されそうになる。 呼吸が浅くなり、回数が増えていく。 「アイリス、大丈夫よ。少し力を抜こう?」 小さい声でソルベティは伝える。 アイリスは、ハッと我に返りその声に頷く。 ソルベティは、ふと上を見上げる。 光と緑の景色の中に落ちてくる白い物体は、不思議と落ち着く事が出来た。 今までのことを思い出す。 怒られたこと、辛くてもみんなで慰めあったこと、協力して乗り越えてこられたこと。 決して良いことばかりではなかったが、いまは良い思い出だけしか思い出せない。 そんな中、降りてきた白い物体は触れては消え、触れては消えてを繰り返す。 どれほどの時間をこの不思議な空間の中で過ごしてきたのだろう。 ソルベティはとにかく、この不思議な景色を心に刻みまた絶対にここに来ようと誓った。 —————————— (どうして?どうして?どうして?何が悪いの?) アイリスは時間が経つにつれ、焦る気持ちが募る。 白い物体は、触れてくれている。 息のかかる顔の近くまで来ている。 我慢できず、白い物体を掴みたい衝動に駆られる。 ただ、選んでもらう立場として強引な手法で恐れられては困ると、理性でその行動を抑える。 (あとどのくらい、時間が残ってるの?) アイリスはハッと、横にいるソルベティを見る。 (目を閉じている……諦めているの?) ——私はまだあきらめない!! アイリスの心拍数は上がっていく。 しかし、状況に変化はない。 その焦りに反して、白い物体は少しずつ、その数を減らしてきている。 アイリスは身体に、力が入る。 今にも泣き叫んでしまいたいほどの精神状態だった。 この一年、自分のことを捨ててこの日のためだけにやってきた。 顔も知らない親戚の精霊使いが行方不明になり、この時がチャンスとばかりに親からも大きな期待をかけられた。 (ここで……ここで躓くわけにはいかないのよ!!!) しかも、アイリスより動きが鈍く、成績もそんなに良くないオリーブがなぜ既にこの場にいないのか? このことがアイリスをさらに混乱させ、状況を悪くさせている。 ——ついに、その時は来る。 明らかに白い物体の数が減っていき、元の森の風景に戻ろうとしていた。 ソルベティはこの状況を受け入れていた。 アイリスはこの状況に反抗しようとした。 さらに白い物体の数が減っていく。 それは離れてみているハルナ達にも目視で数えられるほどだった。 そして……、白い物体はその空間から姿を消した。 森は、一番最初に来た元の状態に戻る。 (ありがとう、とても素敵な時間だったわ) ソルベティは、心でつぶやいた。 一粒、白い物体が降りてきた。 見守っている全員が息をのんで、その行方を見守る。 ソルベティとアイリスは、自然と両手の手のひらを上に向ける。 白い物体は、迷うように左右に揺られながら落下する。 どちらかに降り立とうか、迷っている様子だった。 その時、森の中に風が吹いた。 白い物体は、風にあおられ軌道を大きく外そうとする。 ——!! アイリスは、我慢できなくなりその物体を手で掴もうとし、身体を起こし飛び出した。 しかし、タイミングが外れ掴むことができず、アイリスはその場に倒れこんでしまった。 その勢いで生じた風は、またしても白い物体の軌道を変え再び舞い上がる。 そして白い物体は再び落下を開始した。 腹這いの姿勢でその様子を見守るアイリス。 ——あ その起動がソルベティの広げる手のひらの上に落ちて行くのが見えた。 ソルベティは最後に降りてきてくれた白い物体に感謝していた。 どちらの上に落ちたとしても、諦めていた今回の挑戦に最後の希望を与えてくれたことに。 そして、ソルベティは気付く。 ”精霊は人の道具ではないのだ”……と。 この世界は、様々な生物が生きており誰かが優位ということではないということ。 精霊との契約は、そういうことに気付けるかどうかにかかっているのではないかと推測する。 この手ひらの物体が消えていったとしても、そのことに気付けただけでも良かったとソルベティは思う。 手のひらを眺めると、白い物体はまだ存在していた。 今回気付けたことに対して、手のひら上の物体に感謝を送った。 (ありがとう……) すると白い物体はソルベティの周りを周り始めた。 数回周った後に、肩の上に乗っていた。 指導員の方を見ると、頷いてくれている。 ソルベティの目に涙が溢れる。 いま、ようやく一つの目標を達成する事が出来た。 アイリスは、倒れ込んだ姿勢からゆっくりと起き上がる。 ショックで叫びたい気持ちを抑えながら考える。 なぜ自分だけ契約できなかったのか。 他の二人より何が劣っていたのか。 自分は契約できるのだと、どこかに自信があった。 自分が一番優秀だと思っていた。 しかし、一番森の景色を見ていなかった。 神秘的な美しい景色を、心に写していなかった。 それを知るには、アイリスの心は幼く未熟であったのだろう。 これは、訓練所の中でも教えては貰えなかった。 このことは、本人が気付かなければならないことだったから。 指導員はゆっくりと歩き、アイリスを迎えにいく。 アイリスはまだ下に座ったままだった。 「お疲れ様、もう終わったのよ」 アイリスに、声をかける。 顔は俯いたままゆっくりと立ち上がり、服に付いた砂を払う。 「アイリス……」 名前を呼んで、両手を広げる。 よろよろと近付いて、その腕の中に収まり顔を埋める。 広げた両手はそっとアイリスを抱きしめた。 「……う」 腕の中から声が漏れる。 指導員は片手で、アイリスの頭を優しく撫でた。 「うわぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!」 アイリスは叫ぶように泣いた。 何も考えず、ただひたすらに気持ちが収まるまで声を出し続けた。 これで今年の契約の儀式は、終わりを迎えた。
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