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ある雨上がり、冬 2
「お、三崎じゃん!」
肇が駅前のコンビニに行くと店の前に友人達がたむろしていた。寒空の下にも関わらず何やらギャーギャーとうるさく盛り上がっている。
「おぅ、何してんの?とりあえず買いもんしてくるわ」
店内で目的の物を探し、ついでに肉まんを買って店を出る。
小学生の頃から周りよりも頭ひとつ分くらいは余裕で大きくてガタイも良かった肇は、何もしていないのに怖いと言われたり全く身に覚えのない武勇伝を作られたりで気がつくと学年の中でヤンチャな人達のグループに属していた。
とはいえ肇本人はただデカくて威圧感があってやや強面というだけの至って真面目な中学2年生なので、時々ちょっとはしゃぎ過ぎる友人達に戸惑う事も多く、高校はありもしない武勇伝など風の噂でも届かない所へ進学したいと思っている。
しかしながら怖いとかあの人ヤバそうとか好き勝手に言われて敬遠されてしまう自分と友達になってくれた彼らはとてもありがたい存在だ。
ただ時々度が過ぎるだけで決して悪い人達では無いし、彼らと馬鹿な事をして遊ぶのも楽しいので、ノリや制服の着崩し方を合わせつつも、羽目を外しそうな気配がすると密かに離れるという絶妙な距離感を維持してやってきた。
今日も家で勉強に励んでいたらシャーペンの芯が無くなったので買いに来たわけなのだが、お勉強なんていう単語は彼らのノリに似つかわしく無いのを察知して腹が減ったから肉まんを買いに来たのだという事にした。
一緒に買ったシャーペンの芯をサッとポケットに入れ、ホカホカ湯気のたつ肉まんを頬張りながら合流すると、小学生の頃から一緒だったニッシーが
「なぁ、肉まんとおっぱいってさ、どっちが柔らかいんだろうな?」
と聞いてきた。
肇としては残念ながらおっぱいに特別な思い入れが無く、かといってそれは健全な中学生として変なのでは?という自覚もおぼろげながらある。
「さあ?知らねーよ、触った事ねーし」
当たり障りのない反応で返すと
「そういう事は昨日ナマおっぱいを揉んで揉んで揉みまくった俺に聞いて?」
と、これでもかというドヤ顔のポンちゃんが仁王立ちしていた。
ちなみにポンちゃんのポンはアンポンタンのポンである。
本名は全然違うのだが、長女の下に三兄弟という家族構成の三兄弟が上から順にアン、ポン、タンと呼ばれているのに倣った形だ。
呼んでいるのはポンちゃんのお姉様で、このお姉様にはポンちゃん三兄弟の誰ひとりとして逆らえないどころか、面識のある友人達までもが自然とお姉様と様付けで呼んでしまうようなパーソナリティの人物らしく、肇はなんとなく恐ろしげだからポンちゃんファミリーには近付かないぞと密かに誓っている。
どうやらポンちゃんは昨日帰宅したら自分の部屋にそんなお姉様のご友人がいて、突然『大丈夫、避妊さえちゃんとしたらあとは何してもオッケーってお姉ちゃんの許可は取ってあるから』と強引に筆下ろしされたらしく、そんな脱童貞話で大盛り上がりなところに肇がやってきたらしい。
なんで本人じゃなくてお姉様に決定権があるの?とか、ていうかそのご友人はなんなの?アンちゃんの筆下ろしもそのご友人!?とか根が常識人の肇には理解の及ばないところが多々あるのだが、当のポンちゃんはめちゃくちゃ嬉しそうだしこれで不幸になった人はいないから良い話なんだと思う事にした。
「で、肉まんとおっぱいはどっちが柔らかいの?」
訪ねる肇にニッシーを筆頭とする友人達が興味津々の表情でポンちゃんの答えを待つ。
ポンちゃんはこれまたいっそう得意げな顔をして虚空を揉む手振りをしながら
「肉まんはさ、ふわふわで柔らかいっつっても所詮中身は空気じゃん。おっぱいは中身が詰まってんだよ。その詰まってんのがいいんだよ。空気揉んだって虚しいけどおっぱいは中身があるから気持ちいいの。プルプルでさ、そうだプリンだ!あれ中身プリンだと思う!絶対そう!」
ポンちゃんが謎の自説を熱く語ると、ニッシーが感化されたらしく
「うわー、俺なんか超プリン食いたくなってきた!買ってくる!」
と言い捨ててコンビニへ駆け込んでいった。
なぜかポンちゃんも『俺も俺も!』と後を追う。
残った中で彼女もちの奴が
「いや、俺はプリンじゃなくてはんぺんだと思う。このコンビニはんぺん売ってねーよな」
などと残念そうに呟くのを聞いて、残った面々が呆けた顔でプリンとはんぺんを思い浮かべているとプリン買いに行った組が戻ってきた。
なぜかプリンだけでなく肉まんも買っているポンちゃんに
「なぁ、尻は?尻もプリンで出来てんの?」
と聞くと
「え、尻?ちょっとそっちは触り忘れた」
というがっかりな答えが返ってきた挙句
「っていうか三崎は尻派?」
「さすが渋いな」
何がさすがなのか分からないが一同に感心されてしまった。
「あー、俺も歳上の色っぽい女に筆下ろししてもらいてー」
にやにやしながらプッチンプリンをつついていたニッシーが唸りとも叫びとも言い難い声を出す。
ちょうどその時コンビニの正面にある駅の改札から、いかにも買い物帰りといった様子の膨らんだエコバッグを肩にぶら下げた女が出て来て
「この際そこそこ綺麗だったら誰でもいい。いま出てきたあの女でもいい」
などと言動が暴走し始めたニッシーに乗っかって他の面々も
「えーあれはちょっと年増すぎねえ?俺は無理」
とか
「年増ってあれせいぜい30前後じゃねえ?いけるっちゃいける」
とか
「ちょっと疲れた感じなのが逆に色っぽい、余裕でオッケー」
とか好き放題に言い始めた。
あー、このノリなんかデジャヴと肇は思う。
そういえば小学生の時にもこの改札前で、あの女とキスできるかできないかを言い合った事があった。
あの時は全員無理って言ったけど、今回は嘘でも1人くらいは出来るって言った方がいいかなと考える。
その後も改札から女が出てくる度にジャッジメントタイムが訪れるのだが、軽く『いける』って言えばいいだけだと思うのに、どうしても不本意な事は言えず、こんなくだらない事にすら融通の効かない自分にうんざりしてきた。
「コートが邪魔で尻の判定ができない」
そんな言い訳をして誤魔化していると次のターゲットは黒いダウンジャケットにぴったりとしたジーンズのそこそこ若そうな歩きスマホの女。
次こそは、と思いながら注視していると目の端に何か小さな光のようなものが飛び込んできた。
なんだろう?と思ったら女を追いかけるように小柄な少年が走ってきて、彼の手の中にあるオレンジ色の物が光って見えたようだった。
コンクリートと改札機の無機質な風景の中、少年の手元でチラチラと見え隠れする鮮やかなオレンジ色が目を引いて目が離せない。
少年は女に追いつくと手に持ったオレンジ色を差し出す。
それは傘だった。
女はハッとした様子で傘を受け取るとペコペコと頭を下げ、なぜか傘を届けた少年も同じようにペコペコしてからホームへと引き返して行く。
ひょっとして彼は、あの傘を届けるためだけにわざわざ電車を降りたのか。
傘のオレンジ色が、小さなロクソクの炎のように肇の胸の奥に灯り、ゆらりゆらりと揺れる。
改札を抜けて去ってゆく女の後ろ姿にちらりと目をやりながら、消える事なく揺れ続ける胸の奥の小さな炎に向けて呟いた。
「あ、これは、いけるの方かも」
終
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