ご褒美、です。

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「さて、そろそろ帰りますか」  クレスさんと自分が使ったカップを洗い終わって時計に目をやれば、時刻は午後九時。  あと三時間もすれば、今日という一日がようやく終わる。 「いやー、自分で言うのもなんだけど、今日は頑張ったなー」  誰もいない店内に響く大きな独り言。別に誰かに褒めて貰いたいわけではないが、だからと言ってこの頑張りに何のご褒美もないのも、僕的にはあれなわけで……。 「何か食べて帰ろうかな……」  ……いや、時間的にやっているお店も限られるし、この提案は却下だ。それにそこまでガッツリと食べたいわけでもない。 「コンビニで甘い物でも買って帰るか」  疲労には甘い物が一番である。  そうだ。ついでにマイネとテッサさんの分も買って帰ろう。 「となると、豆もちょっと持って帰ろうかな」  マイネにはカフェオレで僕とテッサさんはそのまま、あと一人は……。 「あの人はいるかどうかも分からないし、とりあえずいっか」  カフェオレの為の牛乳は家にあったはずだから、買って行くのは甘い物だけでよし。問題は二人に何を買っていくかだけど。 「何がいいと思う?」  足元に視線を落としてから気づく。 「……アーリスも帰らせたんだった」  人知れず頑張ってくれていた相棒には、早々にお帰りいただいた。  最近発売された新商品などないか聞きたかったのだが、いないのでは仕方ない。 「マイネは何かしらケーキで」  いや待てよ。確かマイネは今日バイトだったはず。となるとケーキは既に食べている可能性がある。今日は洋菓子よりも和菓子か? テッサさんも和菓子好きだし、それはありだ。コーヒーと和菓子かぁ──和菓子には何だかんだでお茶が合うんだよなぁ。  そもそもコンビニで和菓子って売ってるのかな? こんな時にしか気にした事ないから、全然わからない。 「アーリスがいればな……」  そんな独り言が店内の空気に溶けて消えた瞬間、  からん。  訪問者を知らせるベルが仕事をした。  業務時間外なので仕事をしてもらいたくないのだが、何せ彼は勤勉である。喫茶風見鶏としてはホワイトである事を重視しているので、残業は勘弁願いたい。と言うわけで、いらっしゃった方には申し訳ないがお帰りいただこう。 「申し訳あ」  訪問者を見た瞬間、口が仕事を放棄した。 「あ、お疲れ様です。要さん」  そこに女神が立っていた。  青い髪をした美の女神が、僕に笑顔を向けていた。 「要さん?」 「……あ、えっと、お疲れ様です。マリアさん」  完全に見とれていた。眼球が仕事をし過ぎていた。 「お邪魔しても構いませんか?」 「ああ、はい! 全然大丈夫です! どうぞどうぞ」  急いでエプロンを付け直し、カウンターの中に入る。 「いつものでいいですか?」 「えっと……」  カウンター席に腰掛けたマリアさんは何やらうかない表情をしている。そんな表情まで綺麗なのだがら、流石はマリアさんである。 「……片付けしちゃったんじゃないですか?」  成程。流石の気づかいだ。しかしながら、そんな気づかいは無用である。マリアさんの為ならば今すぐ店を開けるのもやぶさかでない。それどころか、営業時間の変更まで視野に入れる。 「全然大丈夫です。僕も一杯飲んでから帰ろうと思ってましたから」  大嘘である。ついさっきまで帰る気満々でした。 「では、お言葉に甘えさせていただいて、いつもので」 「はい、喜んで」  微笑むマリアさんに頷いて返して、豆の準備に取り掛かる。 「あの、要さん」 「どうかしましたか?」 「中に入ってもよろしいですか?」  カウンター内の事だろうが、一体何をするつもりだろうか? そう言えばさっき店に入って来た時に何か持っていた様な……。 「いいですよ」 「ありがとうございます」  微笑みながらカウンター内に入ってきたマリアさんの右手には、スウィートキャンディーの箱。恐らくと言うか間違いなく、中身はケーキだろう。 「何だと思います?」  僕の視線に気づいてか、マリアさんが楽しそうに首をかしげる。  至近距離でそんな可愛い仕草をされると、僕の心臓が破裂しかねないので御遠慮願いたい──本音としては一生見ていたい。 「ケーキじゃないんですか?」 「ぶぶー、残念。今日はケーキじゃありません」  ……可愛い過ぎる。  この世に間違える事で幸せになれる問題があったとは思いもしなかった。 「今日はタルトになります。あ、ケーキが良かったですか?」 「いえ、そんな事ないですよ。タルト好きです」  それにマリアさんが持って来てくれたのならば、それがただの角砂糖でも美味しくいただきます。 「良かった。作ってきたかいがあります」  作ってきた……作ってきた? 今マリアさんはそう言った。僕の耳がおかしくなければ、間違いなくそう言った。  つまり、箱の中身はマリアさんお手製タルト。という事は、今マリアさんが持つスウィートキャンディーの箱は、誰が何と言おうと世界遺産クラスのお宝になる。  そんなわけないだろ? いや、そんなわけしかない。 「その、店長程上手く作れていないとおもうんですけど、味は大丈夫ですから!」 「そんな、作っていただけただけで嬉しいですから」  なんなら、そのタルトに毒が入っていたとしても食べます。 「要さんの事だから絶対そう言うと思ってました。けど、美味しくなかったら言って下さいね」 「……わかりました」  マリアさんの真剣な眼差しに頷いて応える。  こうなったマリアさんには下手なお世辞は通用しない。正直な感想を述べるに限る。 「では、わかっていただけた所で、本日のメニューの発表です」  箱の蓋に手を掛けて、ドラムロールを口ずさむマリアさんは、あまりにも可愛い過ぎる。 「本日のメニューは苺とカスタードクリームのタルトになります」 「じゃん」と言いながら開けられた箱の中には、宝石の様に輝く赤色。  見た瞬間、口内に唾液が溢れた。 「滅茶苦茶美味しそうです」 「ありがとうございます。ではお皿をお借りしますね」 「はい。どれでもお使い下さい」 「では、要さんはこのタルトに合う一杯をお願いしますね」 「任されました」  重大任務を承ってしまった。  それにしても。どうやら神様は頑張る僕をしっかり見ていてくれたらしい。さっきまで立てていた予定は全て吹き飛んだが、これ以上のご褒美などありはしない。あってたまるか。 「ところで、今日はどんなお仕事をしてきたんですか?」 「ああ、今日はですね」  さて、何と答えたものだろうか?  五月十七日、平日。  忙しかった一日の最後に、僕はまた嘘を探す。
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