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喫茶店『風見鶏』は、薄暗い路地の突き当たりに建っている。
人通りの少ない薄暗い路地の突き当たりである。もう一度言っておこう。人通りの少ない薄暗い路地の突き当たりである。
つまり、
「暇だー」
暇なのだ。
大して汚れてもいないティーカップを拭きながら、思わず口から本音が漏れる。
時刻はもうすぐ午前十一時半。普通の飲食店ならば賑わい始める頃合いだ。だが、店の入り口に付いた古びたベルは、一向に仕事をする気がないらしい。
雰囲気は悪くない……と思う。
西暦一八○○年代後半を意識して造られた店内は、年代物の掛時計(ぜんまい式)が掛けられていたり──毎朝ぜんまいを巻くのが面倒臭い。椅子やカウンター等は当時の木材を使って造られた、もしくはそれなりのお値段がするアンティーク──らしい。更に全体的に照明を弱くして作られた店内の雰囲気は、これぞ喫茶店という感じなのだ。
では何がいけないのか? 味? いやいや、味も悪くない! と思う。
店長秘伝のブレンドは、来店したお客様の鼻と口を楽しませる納得の一品であるし、なんと言ってもうちで提供するケーキはあの『スウィート・キャンディー』のケーキである。不味い筈がない。
つまり、雰囲気、味、共に良しの喫茶風見鶏が流行らないのは、どこかしらの秘密結社の仕業に違いないのだ!
「……やっぱり、立地だよね」
薄暗い路地の突き当たり。所謂、最悪の立地である。
更に言えば看板等の類いも一切ない。
「あまり流行ってしまっても、困るんじゃないですか?」
唐突に足元から声が挙がった。
存在を忘れていた──等と言ったら癇癪を起こしてしまうであろう、真っ黒なラブラドール・レトリバーが、つぶらな瞳で僕を見上げている。
「アーリスはそう思うわけだ」
「はい。私と要だけでは手が足りません。私、犬ですし」
「あー、うん。アーリスは注文聴いてくるぐらいで、精一杯だもんね」
なんせ犬である。正確には『ヒュアミス』と呼ばれる、人間の生活をサポートする為のアンドロイド。
「私に皿を運べと?」
「今更、そんな無理を言わないよ」
「それをさせたいのならば、人型ヒュアミスを買うべきですね」
ごもっとも──しかし、まぁ言い方が冷たい。
そもそもヒュアミスで一番人気なのは人型である。人型ならば人間と同じ行動が出来るというのが一番の理由だ。他にも美男美女のヒュアミスもあって、それはそれで需要が多いらしい。
獣型ヒュアミスはどちらかと言えばペットの様な存在で、愛でられる事に重点を置いたヒュアミスである。
「そんな気は無いよ」
「そんな事は知っています」
だろうね。
今まで何度こんなやり取りをした事か。
はぁ、とわざとらしい溜息を吐いた途端に、
カラン、
と入り口に付いたベルが、本日初めての仕事をした。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいました」
入り口を開けながらおどけた口調でそう言う人物。
ボブカットに少しパーマのかかった、ふわりとした銀髪。形の良い眉の下には、くっきりとした二重まぶたと大きな銀色の瞳。高過ぎず低過ぎない形のいい鼻。そして、きめ細かく白い肌。
一言で言えば美少女。
そんな美少女の格好は、彼女が通う高校のブレザーである。
「あれ? 学校、もう終わったの?」
「今日は学校休みだよ」
「え? だって今日は」
水曜日。学校が休みになる日ではない。
「要。今日は終戦記念日です」
アーリスに言われ、壁に架かったカレンダーに視線を移す。
新暦二○三年、四月二十四日。その日は確かに赤い数字で書かれていた。
つまりは、世界中の人々が休みなわけだ。僕の様に休日にも関わらず仕事をしていなければ。
「忘れてた」
「呆れた。客商売なんだから、そういうの忘れちゃ駄目だよー」
「言い返す言葉もございません」
どうやらその言葉に満足したようで、マイネはにこにこしながらカウンター席へと腰を降ろした。
ん? けどそうなると……。
「マイネ。何で制服着てるの?」
休みなのに制服で出歩いているのだろうか? マイネが着るブレザーのデザインは可愛らしいので、無い事も無いだろうけど。
「んー? 今日は三時からバイトなんだけどさ、どうせバイト先ではお店の制服なわけだし、何でもいっかな的な? コーデ考えるの面倒臭いし」
「華の女子高生の言葉とは思えないな」
直感的に出た言葉だった。
当のマイネはその言葉が気に入らなかった様で、
「要はさー、女子の苦労をわからないからそんな事言うんだよ」
と言って頬を膨らませている。
マイネを怒らせて置くと面倒事が増えるのはよくわかっている僕としては、早めにご機嫌をとっておきたいところだ。
店長の厳選した三種のコーヒー豆。これを三対二対一で合わせ、手動のミルへ。手動というのが風見鶏のこだわりだったりする。
ハンドルを回せばガリ、ゴリ、と豆を挽く音が店内に響き渡る。と同時に広がるコーヒーの薫り。この薫りが本当に堪らない。
それはどうやらカウンターに座るマイネも一緒の様で、さっきまでの膨れっ面が嘘の様に、目を閉じてコーヒーの薫りを楽しんでいる。
会話もなく、ただ豆を挽く。その数分間はあっという間の数分間。
中挽きにした粉を、用意しておいたネルフィルターに入れ、そこに少量のお湯を粉全体に馴染ませるように注ぐ。そしたら二十秒程休憩。この『蒸らし』がなければ、コーヒーは本来の美味しさを発揮できないのである。
蒸らしが終われば、中心からのの字を描く様にお湯を注いでいく。慌てずに数回に分けてお湯を注げば、あとは抽出液が落ちきるのを待つだけである。
と、ここまで終わってマイネに視線を移すと、彼女は何やらにやにやしている。
「要さ、上手くなったよねー」
「まぁ、もう二年以上やってるからね」
不意打ちに褒められて嬉しかったりするわけだが、顔には出さない様に我慢する。
出してしまえば、マイネのにやにやレベルが引き上がるのは想像するまでもない。
「さて」
咳払いの代わりに一言。
抽出液が落ちきり、当店自慢のブレンドの完成……なのだが、今回はこれで終わりではない。マイネがこの店で飲むのは、このブレンドではないからだ。
出来上がったブレンドに温めておいた牛乳と、スティック砂糖を一本。スプーンで優しく一回し、二回ししてあげれば、真っ黒な液体は色を変え、ほんのり優しい色へと変化する。
「はい、いつもの」
「ん。いただきます」
笑顔でカップを受け取るマイネは、もうご機嫌な様だ。本当に現金な『義妹』である。
カップの縁に口を付け、ふーふーと熱を冷まし、恐る恐るカフェオレを口内に流し込む。その一瞬後には、マイネの頬が緩み切った。
「おいし」
小さな呟き。
店内BGMを流していたら、きっと聞こえなかったであろう小さな呟き。
聞こえてしまった呟きに、僕は何も返さない。下手な事を言って、また機嫌を損ねてはどうしようもない。
「お昼は?」
「んー、いつもの」
マイネはいつもそれしか言わない。だが、それだけで十分なのだ。
「たまごサンドね」
「そうそう、それそれ」
マイネの好物たまごサンド。これを作る為だけに、風見鶏にはゆで卵が常備されていたりする。マイネ以外でこれを頼む人が稀である。
卵の殻を剥き始めると、マイネはにこにこしながらカップに口を付けている。
暇なのも、悪くないか……。
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