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【第2話:癒し手】
僕は前にいた世界でも孤児だった。
まるで霞がかかっているようで、ほとんど思い出せないのだけれど、その世界での僕はもう中学を卒業していたはずだ。
霞む記憶の中の鏡に映る僕の姿は、今と変わらない。
白い髪に薄い朱に染まった瞳。
少し小柄な体格に、引き締まった肉体。
唯一違う所と言えば、鏡の中の僕は、表情が抜け落ちているというところだろうか?
あと、何か思い出せない理由によって、成長がずいぶん遅かった気がするんだ。
そのせいでこちらでいくら「もう16歳ぐらいのはずです」と言っても信用してもらえず、11歳としてやり直す羽目になったんだ……。
そんな前の世界で僕は、何かとても大きな爆発事故に巻き込まれたようで、瀕死の重傷を負ってこの世界にやってきた。
恐らく僕が前にいた世界では助からなかっただろう。
それほどの大怪我をしていたのだけれど、この城砦都市国家『シグルス』一の癒し手であるマリアンナさんの手によって治療され、僕の命は繋ぎとめられた。
『癒し手』
この世界にもたらされた神の恩寵の一つ。
数百人に一人の割合で現れるその能力は、神への祈りによって傷や病を治す奇跡を起こす。
この世界、メリアードは過酷な世界だ。
この世界には大きな国はほとんど存在していなくて、小さな城塞都市国家で形成されている。
それは何故なのか?
それは、定期的に発生するモンスターウェーブのせいで、大きな街では魔物から街を守るのが難しいと言うのが一番の理由だ。
その押し寄せてくる魔物の群れだけど、何も魔物はモンスターウェーブの時だけ現れるわけではない。
魔物は普段からいたる所に存在するんだ。
だから、頑強な城壁の無い場所で暮らすのは凄く危険だし、みんな安全な城塞都市の中に住んでいる。
だけれど、そんな城壁に守られた城塞都市の中だけで、暮らしていくこともまた不可能なんだ。
生きる為には田畑が必要だし、家を建てるにはその材料がいる。
街が、国が発展するためには交易も必要だ。
他にも色々と街の外に出なければいけない事は多い。
だから、街の外で魔物に襲われて命を落とす者は多い。
でも、普通に治療していては助からないような大怪我も、癒し手の治療が間に合えば、祈りの力で癒す事が出来る。
この世界にはなくてはならない大切な人たちだ。
そしてマリアンナさんは、その中でもこの国一番の癒し手として有名な人だ。
僕の傷をたちどころに癒したマリアンナさんに連れられ、そのままこの孤児院にやって来ることになったのは自然な流れだった。
「僕がマリアンナさんに紹介されたあと、あの時もソニアが腰に抱きついてきて、そしたらセリアが今みたいに怒って……で、あの時もげんこつ喰らってたよね」
僕のその言葉に、そっと視線をそらす姉妹。
そして、何か話題を逸らそうとセリアが口を開きかけた時、食堂の入口から声が掛けられる。
いつの間にか食堂の入口に立っていたのは、最年長15歳のローズと、ソニアと同じ9歳のリンスだ。
「そうね。あの時もげんこつを貰っていたわ」
本が大好きなローズは読みながら食堂まで来たのだろう。
読んでいた本をパタンと閉じると、ずれた眼鏡の位置を少し直し、後ろで束ねていた青い髪をシュッとほどいた。
一応、本当の最年長は僕のはずなんだけどね……。
「う、うん。ぼ、ぼくはげんこつされた事がないからわからないけど、い、いつも痛そうだよね?」
おどおどと落ち着かない様子のリンスは、明るいピンク色の髪に跳ねたくせ毛をクルクルと指で弄りながら、申し訳なさそうにそう呟く。
「いつもげんこつされてるから、平気なんじゃない?」
「う、うるさいわね! 早く席に着いてよ!」
「何を朝からご機嫌斜めなの? あの日なの?」
「なななな!? ああああの日って何よ!? あの日って!?」
「あの日って言うのは……」
「うわぁぁ!? 言わなくていいから!?」
さすが最年長といったところかな?
いつものようにセリアがローズに揶揄われて、今日の朝食も賑やかに始まるのでした。
~
食事を終えた僕たちは、三人で養成学校に向かって歩いていた。
そう。三人で。
「それで……なんでローズも一緒なのよ……」
少し口を尖らせて、拗ねるように聞くセリア。
守護者養成学校と守護者ギルドは少し離れているはずだ。
ローズは先日守護者養成学校を卒業したはずだし、どうしたのだろう?
孤児がみんな守護者になるわけでもないし、目指す訳でもないんだけど、命を懸けて街を守る尊敬される職業だ。
孤児の場合は親の仕事を継ぐことも出来ないし、働く伝手が無い場合が多いので、10歳の時に受けることが出来る守護者適性検査で合格した子は、そのまま守護者を目指す場合が多い。
そして、ローズは卒業して守護者になったと思っていたのだが、
「養成学校を卒業して、養成学校に就職したからよ」
どうやら座学の方の成績が優秀だったようで、養成学校の職員としてスカウトされたらしい。
「えぇぇぇ!? わたし聞いてないわよ!?」
「それはそうよ。だってセリアには言ってないもの」
この世界では15歳で成人とされ、何かの職につくのが一般的だ。
一応、成人したら孤児院を出ていくことになっているんだけど、規則では20歳までにお金を貯めて出ていけば良い事になっているので、ローズはこれからも暫くは孤児院から養成学校に通う事になるだろう。
つまり、僕とセリアが養成学校を卒業するまで、ずっと一緒に孤児院から通う事になるだろうって事だった。
「ぅぅ……せっかくダインと二人きりで通えると思ったのに……」
うん。気持ちは嬉しんだけど、心の声が駄々洩れだよ?
さすがに1年も一緒に暮らしていると、セリアの気持ちにも気付いてはいるんだけど、どうしても妹みたいに接してしまうんだよね。
「まぁそういう事だから。私は守護者養成学校の事務に配属される事になっているから、何か困った事やわからない事があったら相談しに来なさい」
「ありがとう。ローズ。それで……早速なんだけど、魔物の襲撃があった場合はあの警報装置を押せば良いんだよね?」
僕はそう言って、街灯の横に設置してある警報装置を指さす。
この世界は純粋な科学は進んでいないが、魔導学という独自の技術が発達しており、前にいた世界に劣らない生活水準を誇っている。
この警報装置も突然の魔物の襲撃などに備えて設置されているもので、一定間隔で街の至る所に設置されており、装置のクリスタルに魔力を流し込むだけで、警報が鳴り響き、守護者ギルドなどの防衛機関に連絡がいく仕組みになっていた。
「そうだけど? 突然どうしたの?」
「ありがとう。一応初めてだから確認しておきたかったんだ」
不思議そうに首を傾げるローズは少しレアかもしれないな。
いつも冷静で何でもわかってる風だからね。
そんな事を思いながら、僕は二人から離れるように歩き出す。
「ん? ダインどうしちゃったのよ? 緊張しておかしくなっちゃった?」
「え? 緊張なんてしてないよ?」
そして、警報装置に辿り着くと躊躇なくクリスタルに魔力を流し込んだ。
「ちょちょちょちょっと!? ダイン!? 何してるの!?」
慌てて駆け寄ってきたセリアに「落ち着いて」と声をかけ、
「何って……」
警報が鳴り響く中、僕は指先を空に向ける。
「魔物が襲撃してきそうだから?」
そう言って、街に向かって下降する魔物の群れを指さすのだった。
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