【短編】穏座の初物

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「飲むに減り、吸うに減り、ね」  ぷかぷかと浮かべる煙に紛れて、愚痴をこぼす。  耳から下げたピアスを、指で(いじ)ってシャラリと鳴らすと、隣に座る人物がクスクスと笑う声が聞こえた。 「それを言うなら『飲むに減らで吸うに減る』だろう? ライターの義姉(ねえ)さんらしくないね」  カウンターの隣の席、ぼんやりとした顔の眼鏡の男が、優しい声差しで訂正を入れる。  マイペースにグラスを傾ける彼に対して、私は煙草を灰皿に置いて、ショットグラスをあおった。  彼の言葉は、小さな出費も積み重なれば多額になるという戒め。  たまに飲む酒代で財産を減らすことはないが、始終吸うたばこ銭は、僅かな額でも積もれば財産を減らす程になるという意味だ。  現実はそんなに甘いものではない。  (ことわざ)さえ否定して、私は不機嫌な声を返す。 「飲酒も喫煙も、習慣にしていれば、どちらも財産を減らすものよ。覚えておきなさい」 「僕は煙草は吸わないし、お酒もあまり飲まないからなぁ。義姉さんの身体の方が心配だよ」 「放っておいて。男鰥(おとこやもめ)が、一丁前に人の心配してるんじゃないわよ」 「義姉さんは手厳しいなぁ」  冷たく言い放つも、男は隣でヘラヘラと笑っている。  他の男と飲む時のように、酒の酔いに任せて、どちらかがもう一方に身体を委ねることはない。  二人で飲みに行く程気心の知れた幼馴染は、それ以上にも以下にもならない。  変わったのは、その呼び名程度のこと。  私は、赤い口紅の付いた煙草を、再び(くわ)え直す。  アルコールの酩酊感(めいていかん)と、メントールの透き通った爽快感、スモーキーな風味が、肌を晒した胸の辺りを(めぐ)る。  隣にいるほろ酔いの朴念仁(ぼくねんじん)には、経験のない刺激だろう。  彼と同じように優しく笑う妹も、彼と同じ。  温かいホットミルクの似合う、昼の日差しのような二人だと、私は常日頃から考えている。 「義姉さんも、早く好い人を見つけなよ」 「アンタもね」 「僕には愛里がいるから良い。もうすぐ一周忌だから、義姉さんもいい加減実家に戻っておいで」  頑固な男の、夭折した妻を思う科白(せりふ)を聞きながら、私は舌に残るスモーキーな苦味を口の中で転がす。 「(いや)よ。あんな(ふる)いだけの家、アンタに熨斗(のし)つけてくれてやるわ」  悪態を吐いて、顔を背ける。  毒気のない男の笑顔を知った順番など、婚姻届という紙の前では意味を持たない。  胸に宿る消えない火も、もういない大切な相手のことを思えば、口に出すことは許されない。    紫煙がくゆる。  吐き出せなかった言葉を、灰皿に押し付けて荼毘(だび)()す。    身軽で気に入っている、一人寝の夜。  弟ぶる男と明かす、今夜も、きっと眠れない。
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