モノクロ

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映画は静かに進んだ。ルネはロドリゲスのナンパを相手にもせず、雑誌を捲る。すると一度画面が引いて、部屋全体が映った。ルネの脚を組んだ姿勢、壁の絵画、窓の外の明るさ。全てのバランスが美しかった。美月は店の外の風景を想像する。都会の大通りか、あるいは大きな緑の庭かもしれない。 そしてまた、画面はルネのアップになって、雑誌にフォーカスが当たる。彼女の読んでいた雑誌はファッション誌かと思われたが、実際には銃マニア向けの厳つい雑誌だった。ルネの雑誌を捲る細い指と、何処かを見つめる鋭い目に、これから何が起こるのかと想像させて、そこで作品は終わった。 『ルネ』の後も2人は色を想像しながら、そのモノクロ映画を観た。幸仁の観ている世界を、美月は何となくではあるけれど分かったような気がして嬉しくなる。そして、また、色を描く自信のようなものが湧いてくるのを感じた。 「どんなに頑張ってみても、他人が見た世界を同じように見ることは出来ないかも知れないけど、でも漸近的に限りなく近づいていくことは出来ると思うんだ。」 幸仁は帰り道、そんな似合わない話をした。そして、「今日の月は少し赤いね」と言った。静かなブルーの夜に浮かんだ月は、確かに赤く見えるような気がした。 ※ ※ ※ 美月はそれから1ヶ月、制作活動に集中した。世界は美月の描きたいと思う色で溢れている。きっと幸仁とモノクロ映画観たのがきっかけだったと思う。幸仁はあれからまた新聞のモノクロの世界に戻っていた。美月も制作に没頭していて、展覧会用に数点描いた。そして、あの赤い居酒屋の絵も細かな色を変えて描き直した。題名は『507ペリレーンマルーン』にする。 「大盛況みたいだね。」 アート展に足を運んでくれた幸仁が、言った。 美月の絵にはいくつか既に"Sold"の札がかかっている。美月は確かな手応えを感じていた。 「これ、僕が買うよ。」 幸仁は『507ペリレーンマルーン』を指差して言う。1番の傑作だと思うその絵にも、当然いくつか声はかかったけれど、美月は何となく売らないでとっておいたのだった。 「幸仁が買ってどうするのよ。」 美月は聞く。でも本当は幸仁の為にとっておいたのかもしれない。 「良いじゃないか。記念にさ。」 「何の記念?」 幸仁はいつもそうやって誤魔化す。何だって記念にすれば良いと思っているのだ。でも、この絵を買うというのなら、ちゃんと理由を知りたいと美月は思った。 「いや、そうだな。結婚の記念に。」 「え?」 「代金はこれでも良いかな?」 そう言って、幸仁はポケットから指輪を取り出した。そして跪いてゆっくりと美月の指にリングを通す。美月は予想していなかったことに、動揺した。喜びと驚きとが頭の中でスクランブル状に混じり合っている。 「良いよ。」 美月は出来るだけ心を落ち着かせて短く言った。そうしないと、大泣きしてしまいそうだったから。 「何色に見える?」 幸仁は下から美月の瞳を見つめながら言った。ダイヤモンドは光を映して何色にも見えた。それに、涙で滲んで良く見えない。 「507ペリレーンマルーン。」 美月は上を向いて、そう言った。ダイヤはきっと赤く光ったに違いない。 了
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