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「ペリレーンマルーン。」
幸仁は噛み締めるように呟いた。美月は箪笥からウィンザー&ニュートンのカラーチャートを取り出して、幸仁に見せた。そこには、美月の使っている絵の具の色が一覧になっている。
「ここは?」
幸仁は画の中の窓外の部分を指して言った。
「そこは、386マースブラック。」
美月はチャートの位置を指して、絵の具のチューブを見せる。
「なるほど。暗闇の色だね。じゃあここは?」
幸仁は面白そうに、色の名前を確かめていった。
「097カドミウムレッドディープ。」
美月は教えながら、少し驚いていた。幸仁が似たような色も的確に区別して認識していたからだ。ペリレーンマルーンもカドミウムレッドディープも、大雑把に言えば赤である。僅かな色みの違いなので、よく見なければ普通は違いに気が付かない。幸仁はモノクロの世界にいながら、しかし、色の違いを明確に認識しているようだった。
その後も幸仁は絵の具の匂いを嗅いだり、触ったりしながら、それぞれの色を確認していく。幸仁の手はカラフルに染まっていった。「味は違うのかな。」と言って、幸仁が絵の具を舐めようとし時は、流石に美月も止めた。多分、身体に良くない。
「ねえ、色のない世界ってどんな感じ?」
美月が聞いた。美月はポッカリと空いた穴のような場所を想像する。様々な色が吸収されて、そしてグレースケールで飛び出してくる。そんな穴が幸仁の中にあるのだ。彼になら何でもさらけ出せる気がするのは、もしかしたらその穴が美月の色を受け止めてくれるからかも知れない。
「どうだろう?伝えるのが難しいな。でも反対に、色のある世界ってどんなだろう?君が見ている世界を、僕も知りたい。」
幸仁は言った。色のある世界ってどんなだろう?当たり前に見ている世界だけれど、その問いに確かに難しかった。そしてそれは、美月がスランプに陥っている要因にも思える。描くべき色を美月は見失っていた。幸仁の色の空洞を埋めるべき色が、きっとあるはずだ。
「そうだ、このチャートを使って、見た風景の色を確認していくのってどうかな?あれは何色で、これは何色なのか、2人で確かめていくんだ。面白そうじゃない?」
幸仁が提案する。それは、美月にとっても面白い試みのように思えた。
「良いよ。やってみよっか。」
2人は絵の具の匂いに包まれながら、気の利いたイタズラを思いついた子供のように笑った。
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