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「ふと思ったんだよね。他の人は、本当に自分と同じ風景を共有しているのかなって。誰もが幸仁としたみたいに、これが赤で、これが黄色でって、いつも確認してる訳ではないでしょ?みんな何となく赤とか黄色とか言うけど、それは本当に同じ色なんだろうかって。」
美月は疑問を口にした。幸仁と色当てゲームをしている内に発見した問いである。
「なるほど。それは哲学的な問題だね。」
幸仁はコロッケの衣を唇に付けたまま、真剣な顔をして言う。普段のゆるゆるな幸仁とも、新聞記者の熱血な幸仁とも違う、深く静かな内省的な幸仁がいる。幸仁は色々な表情をもっているみたいだ。
「ねえ、この後映画観に行かない?」
思いついたように、幸仁は言った。
「映画?良いけど、どうして?」
「まあ、良いじゃない。その前に、親子丼食べてこ。老舗の美味しい店があるんだ。」
幸仁はいつもの幸仁に戻っていた。
「オーケイ。」
美月は黙って幸仁の案に乗ってみることにする。どうせ帰っても筆は進まないのだ。それに幸仁のすることなら、何であっても信用して良いような気がしていた。
結局、人気の親子丼にはありつくまで、2時間近く並んで、映画に行く頃にはすっかり遅くなってしまった。
「こんな遅い時間にやってるところあるの?」
「知り合いが経営している小劇場でさ、今日は特別に開けて貰ったんだ。」
幸仁は嬉しそうに言った。シネコン以外で映画を観るのは美月にとって初めてだった。下北沢の路地裏にある小さな劇場だった。趣のある観客席を独占して、美月と幸仁は並んで座る。
映された映画は、白黒映画だった。
「『コーヒーアンドシガレッツ』、ジム・ジャームッシュ監督の作品なんだけど。ほら、この前家で観た『パターソン』の人。」
幸仁は映画好きで、良く2人で映画を観た。『パターソン』は、何の変哲もない1週間を描いた作品で、美月が特に気に入っていた作品だった。
「古い作品なの?」
美月は聞いた。
「いや、公開は2003年だから、敢えてモノクロで撮影してるんだ。」
それで美月は幸仁の意図を理解する。幸仁の見ている世界を美月と共有したかったのだ。映画は日常を描いた短編で構成されていた。ストーリーと言うほどのものはなく、ただただ日常の映像なのだけれど、それぞれのカットの美しさや、登場人物のウイットに富んだ会話が心地良い。
「あのテーブルクロスの色は何色だと思う?」
5作目の『ルネ』の一場面で、幸仁が聞いてくる。コーヒーショップで独りコーヒーとタバコを飲むミステリアスな美女ルネ。そこに店員のロドリゲスが彼女をナンパしようとコーヒーを注ぎに来るが、ルネは手でカップを塞いで阻止する。ルネのカップを口に運ぶ優雅な仕草と、ロドリゲスの必死さが見事に対比されて思わずクスッと笑ってしまう。ルネが肘をついたテーブルのクロスは、濃い色と薄い色のブロックチェックだ。
「赤と白かな。」
美月は答えた。店とロドリゲスの雰囲気から、美月は派手な内装を想像する。ポール・ギヤマンのリトグラフ作品のような、幻想的な赤。それは、美月の目指す色の1つだった。
「花瓶の花は?」
「どうだろう?白く見えるけど、薄い黄色がかった白だと思う。」
色を想像すると、何だかワクワクする。小さい頃に塗り絵をした時のような、そんな期待感がある。幸仁はそうやっていつも色を想像しているのだろうか。
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