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無意識に下した選択が失敗に繋がると、後悔は倍増する。
意志を持った上での結果ならば、己を労わり、慰めることもできるはずだ。
お前が選んだ道なのだから、そう悔やむな、と。間違ってもいいのだ。お前のやることなんだから。そもそも、間違いなんて、ないんだよ。……よく聞く慰めの文句で、自分を甘やかせてあげればいい。
「腹が減った」
丹羽の後悔は、ありふれた一言から始まった。
「メシ、行こう」
「いいけど。なんかあんの? この辺、なんもないだろ」
七月のはじめ、冷房を効かせた狭いアパートの一室で、丹羽は同級生の星野と、大学の前期試験として課されたレポート作成に励んでいた。
本日、前期最終日を迎えた講義でたまたま一緒になり、互いに同じ課題に手を焼いていると知り、丹羽の家で共同することになった。
時刻は夜の八時を迎えようとしている。
なんとか形を成したレポートを仕上げるまでの集中力は残っていない。空腹も限界を超えていた。
「駅北に一軒だけあるんだ」
「あれ、飲み屋じゃねえの? 食べるもの、あるか?」
「ダイニングバー。カレーとか焼きそばとかもあるって。俺、近所なのに一度も行ったことなくてさ」
言い終えると、丹羽は悪戯そうに瞳を煌めかせた。
「紅平がバイトしてるんだ」
周囲を海に囲まれた半島の突端に位置する町は、夏になると潮の匂いがもわりと漂う。
夜風のおかげで湿気が幾分か軽減されており、二人は軽い足取りで徒歩数分先にある駅へと到着した。コンビニ一つ無い寂れた田舎の駅周辺は、外灯の光も呑みこむほどの暗闇に包まれている。
夜間は無人となる駅周辺で唯一、看板を掲げているのが、ダイニングバー『アイグー』だ。
「……大丈夫か? ここ」
「……たぶん。紅平からは、特にヤバいとは聞いてない」
アイグーは、変な店だった。
木製の看板に力強いカタカナで店名を記しているのが、店主のこだわりを表しており、来客を怯ませるのに十分だ。
多国籍風、とでも言うのだろうか。小さな平屋の白壁には、ダイナミックに手描きの絵がペイントされている。描かれているのは海、山、魚、鳥……大らかな絵は、一見すると銭湯の壁画のようだ。が、牧歌的な風景の上方で踊り狂っている人らしき絵がなんとも不気味である。アフリカ彫刻風というのか、ピカソ風というのか、描き手が芸術を爆発させたことだけは、よく伝わってきた。
夜の闇に浮かび上がる怪しき店の全貌に怯んだが、誘った手前もあり、不安そうな星野を率いて店の木戸を引いた。
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