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パタパタパタパタ
「はぁ…」
パタパタパタパタパタパタパタパタ
「はぁぁぁ……」
土曜の夕方。
私は一心不乱にはたきをパタパタとさせていた。
「…澪ちゃん?」
そんな私の様子を見て遠慮がちに話しかけて来たのは、この間知り合ったばかりの朝比奈 宗助さんだ。
そう、ここは楽器屋さんで、私は只今絶賛アルバイト中である。もふもふのはたきを持ちながら、店中のギターの埃を叩いている最中だ。
手は忙しなく動かしながらも漏れてしまう盛大なため息。
「えっと、、大丈夫?」
「す、すいません!大丈夫です!」
いや、全然大丈夫じゃない。
心配そうに私の顔を覗き込む宗助さんに、わざとらしく笑顔を作って答える。
「好きに休んでもいいからね」とにっこりと微笑む宗助さんはさながら仏のようだ。心なしか後光が差している。
宗助さんが大きな段ボールを持って地下に姿を消したのを見届けてから、もう一度、本日最大のため息を溢した。
「……最悪だ」
夏目先輩から脱兎のごとく逃げたあの日、即ち昨日。私は重大な過ちを犯した。
訳の分からない事を言ってのけた先輩から逃げて来たのは多分正解である。
なんだけど、そうなんだけど。何故、私はあのまま逃げた。何故、何故────
「ギター置き去りにしちゃったんだよぉ…!」
そう、あろうことか私は一番重要なギターを置いたまま逃げてきてしまったのだ。しかも気付いたのは、自分の部屋に着いてからという何とも間抜けな失態を犯してしまった。
バカなの、私。気づけよ、私!
これじゃあ人質じゃないか!
もしかしたら気を利かせた先輩が宗助さんに預けてたりしてないかな、という一縷の望みに賭けてみたが、まあそんなことはあり得なかった。
会うや否や「ギターどうだった?」と何の屈託もない笑みを浮かべた宗助さんを前に、置き去りにしてきましたなんて言えるはずもなく、
「とても…綺麗な音色でした…」
と、ぎこちなく笑う事が精一杯だった。
良心がズキズキと傷んでいたのは言うまでもない。なのでせめてもの償いとして、奈落の底に堕ちた心とは裏腹に、手だけはテキパキと与えられた仕事をこなしている現状である。
私のギター、今どうなってるのかな…。
あの悪魔の微笑みを浴びせられているのだろうか。
それとも、あの少し甘い歌声と共に柔らかな音色を鳴らしているのだろうか。
それならそれで、羨ましい。
あの歌声は、私の心を優しく撫でる。柔らかで、心地よくて、耳にいつまでも残るような不思議な声。
私は初めて彼の歌声を聴いた日から、何度も頭の中であの歌声を再生していた。
何故だか、忘れられなかった。
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