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「志馬──」
坂下から目を離さないまま、椎野は僅かに顔を志馬のほうへ向けた。
「どうだ、見えたか」
……あ、そうだ、こいつのオーラを見るんだった。臭いに気を取られてる場合じゃない。
志馬は眉間に皺を寄せて坂下を見つめた。黒い、まるで底なしの闇のような靄が、全身を包み込んでいる。
「あー……」
志馬は呻いた。これは、こういう禍々しい靄が自身を包み込むようなものは、危険であるし厄介だ。
志馬の苦々しい表情を見て、椎野は不意に坂下の腕を掴むと、力まかせに、まるで背負い投げでもするかのような勢いで、外へと引っ張り出した。本当に、この小さい体のどこにそんな力が。
「なっ、何するんだ!」
「大家の代理で来た。テメエとじっくり話がしたいが、この部屋に入る勇気は俺にはない。テメエのその格好じゃ店にも入れないから、そのへんのベンチでいいか」
「……話すことなんか、何も」
「家賃踏み倒しといてよく言う。まあ、他にも聞きたい事があるから、とりあえず来い」
「嫌です。大家さんの代理とか、そんな、よくわかんない人たちについて行くほど俺は──」
横から腕がぬうっと伸びてきて、抗う間もなく襟首を締め上げられた。
「テメエはさっきから聞いてりゃぐちぐちと……どうやら自分の立場を解ってねぇようだなあ、オイ?」
眉も口も不気味に歪める志馬に、坂下はここにきてようやく「やばい」と思った。大家の代理、というのはつまり、893だったんだ。考えてみたら、二人が黒いスーツ姿である事も、充分怪しい。
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