Episode 1

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Episode 1

 志馬景臣(かげおみ)が生活安全課に配属となったのは、今から遡ること3ヵ月前である。警視庁 (みなと)那伽(なか)警察署──去年建て替えられたばかりの新庁舎は、地上7階、地下2階の、縦長の窓がずらりと並んだのが特徴的な、なかなか斬新な建物だ。ちょっとした観光名所にもなっている。  そのいかにも都会的な、洗練された建物に、いささか浮かれていたのは事実である。吹き抜けの明るいロビーのなかほどには、まるで宙に浮いているかのような3基のエスカレーターが、それぞれ始点が5メートル程ずれた位置から2階、3階、4階へと伸びている。  そのうちの、4階へと続く最も長いエスカレーターに乗り、着いた先の、ピカピカに磨き上げられた廊下を靴音高く進む。トイレのひとつ先の角部屋をノックした時、気分は最高潮に達していた。  だから、勢いよくドアを開けた瞬間、あ、やっちまったな、と思った。  廊下の明るさが嘘のように薄暗い室内。壁際には見るからに使い古された灰色のスチールキャビネット。積み上げられた謎の段ボール箱。照明はなんと蛍光灯だ。しかも節電のためか、ところどころ間引かれている。  部屋の中央に置かれた5つの、これまた使い古されたような事務机には、二人の姿があった。一人はきりりとした印象の男性、もう一人は、寝癖のついたミディアムショートの女性──目の周りはそういうメイクなのかクマなのか。  ああ、やっちまったと、志馬は再度思った。諦めなのか愛想なのか、自分でもよくわからない引きつった笑みが無意識に頬に浮かぶ。  これまでの交番勤務は悪くなかった。近隣住民との触れ合いは、志馬にとって癒しでさえあった。子どもたちからは「怖い顔のお巡りさん」として慕われていた(と思う)。  異動が決まり、その配属先が本署の生活安全課だった事は、志馬のモチベーションを否応なしに高めた。もっともっと、住民たちの安全を守ることに務めよう。犯罪など許さない。  そんな、警察官になった時と同じくらいの意気込みは、だが、実は廊下を歩いている時から、少しばかりの不安が混じっていた。
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