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第二章 夢の名残り
優作とかおりとは中学2年と3年の2年間一緒のクラスであった。そして、3年の時のほぼ一年間、二人は付き合っていた。中学生同士の恋ではあったが、二人は真剣だった。でも、二人が付き合っていたことはおそらく誰も知らない。別に隠す必要性もなかったのだけれど、へんな噂がたつのは避けたかったので、学内で二人でいる時は必要以上に親しい雰囲気は出さないようにしていた。
軽い会話が終わったところで、昔話からお互いの近況まで話し合った。優作はは主に仕事の話しをした。その中で、かおりは24歳の時に結婚し、今は二人の子供の母親となっていたことがわかった。
「ねえ、これから学校の周りを散歩しない」
かおりは昔から、突然いろんな提案をしてくる。喫茶店を出て中学校へと向かう。校舎は建てかえられたのであろうか、昔の面影は感じられなかった。でも、周囲の環境はそれほど変わっていなかった。学校の横を流れている川に沿った小道を歩く。学校側には桜並木があって、散歩にはこの上ない道なので、当時からよく二人で歩いていた。桜は、この数日の強風でほとんど道に落ちてしまっていたが、時々風にあおられ、花びらがわずかな光を透かしてひらひらと落ちてくる。
あたりの静寂が二人を無言にする。二人の間の微妙な距離が、逆に緊張感をもたらしている。優作は、かおりと手をつなぎたかった。かつてのように。
かおりは、まっすぐ前を向いて歩いている。その横顔は凛として美しい。会えなかった20年間、かおりはどんな人生を歩んできたのだろうか。
「かおり、幸せそうだよね」
微妙な距離を少し縮めて言ってみる。
「幸せ? 幸せってどんなことを言うの?」
そんな難しい答えを予想していなかった。戸惑っている優作の顔を見て、
「ご心配なく。私、幸せよ。夫婦仲もいいし」
「そう。良かった」
「で、優作君のところは?」
「うち?」
「私にも聞く権利あるんじゃない」
「まあ、幸せってところかな」
「何、それ」
川幅は昔より広がっているように思える。自分たちの中学時代は、台風などの大雨でこの川はよくあふれていたから護岸工事をしたのだろうか。二人の正面から制服を着た中学生の男女が手をつないで歩いてくる。それを見て、対抗するかのように、突然かおりが優作の手に触れてきた。それに応えるように、優作はかおりと手をつないでいた。思わぬ幸せが訪れた。
中学3年の3月。この同じ道を二人で歩いていた時に、優作はかおりから突然別れを告げられた。「今日で、私、優作君とお別れするから」という一言を残して、かおりはその場を立ち去った。でも、優作はそうなることを予期していた。というより、振られるように、かおりが嫌がることをあえて続けていた。優作の家は父親の事業の失敗により、当時どん底状態にあった。一方、かおりは大手企業の役員の娘であった。かおりはそんなことを全く気にしていなかったが、優作はかおりと一緒にいるといつも屈辱感を感じていた。持っているものひとつとっても違ったからだ。優作はかおりのことが大好きだった。だからこそ、心の中にはいつも歪んだ感情が渦巻いていた。高校はかおりが私立校へ、優作は公立校へ行くことが決まっていた。かおりは私立校できっと自分にふさわしい相手を見つけるであろう。ならば、今別れたい。それも自分から別れを告げるのではなく、かおりから別れを告げられたい。そう思った。
いつか、恋人同士でなくてもいいから対等に付き合いたい。そういう思いで、その後優作は一生懸命勉強をして、一流企業に就職し、同期の中で一番乗りの課長になった。先ほどかおりと会った時、そういう自分を知って欲しかったので、かおりに名刺を渡したけれど、かおりは何の興味も示してくれなかった。
「さっき、うちもうまくいっているって言ったけどさ…」
そう言った優作に対して、川沿いに設けられている柵に身を委ねて、川の流れに見入っていたかおりが振り向く。
「えっ、何?」
「実は、うちの夫婦うまくいってないんだ」
「そうなの?」
かおりが優作の顔を覗き込むようにして言う。それは、優作の話を疑っているようにも見えた。
「うん。俺のお袋と妻がいろいろあって…。それから夫婦間もうまくいかなくなった」
「そう。嫁と姑ってやはり難しいのね。うちは主人の両親とは別居だから何もないけど」
本当は、夫婦仲は悪くなかった。優作たちも両親とは別居しているので、嫁姑問題も起きていない。自分でも、なんでこんな嘘を言ってしまったのかわからない。
「でも、そういう話し、あまり聞きたくないな…」
「ごめん」
その話はそれで終わって、また中学時代の話に戻った。今の二人が盛り上がれるのは、その話題しかなかったからだ。共通の友人である中山という男が、修学旅行先で迷子になったこと、運動会の父兄参加競技で、ある父親が張り切り過ぎて転倒し、救急車で運ばれたことなどなど。そんなたわいもない話をしているうちに、優作はかおりのことが今でも好きであること、そしてその感情は今後も決して消えそうにないことを強く感じていた。
「ねえ、かおり、明後日時間をつくれない」
「明後日? 別にいいけど」
「俺、明日仕事で京都へ行くんだけど、夜には帰ってくるからさ。もう一度、ここで会いたいんだ」
「ここで?」
「そう、ここで」
「いいけど…」
「その時、ちょっと、話したいことがあるんだ」
「なんか、恐いなあ…」
「別に恐い話なんかしないから」
「わかったわ」
学校の校門の前で待合せることにして、その日は別れた。駅まで送っていくというかおりの申し出を断って、その場にいるかおりから離れ、まるで青春映画のように、前を向いて歩きながら右手だけ挙げて、「じゃあね」とだけ言って歩を進めた。
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