3. ヤマブキ

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 中の時計を見ると、8時5分だ。  隊形は、椅子1脚を前にして、子どもたちは床に座るようお願いしておいた。まだ宿題の提出が終わってない子もいるようだが、だいたいが用意できたようだ。  私はもう一度廊下の端っこまで走って行って、「あ! あ! あー!」と発声練習する。戻ってきて、深呼吸を一つした。 「おはようございます!」そう言って、ドアを開ける。 「あ、おはようございます。こんな感じでいいですかね?」  2年1組は、ベテランの柴田先生だ。 「はい、ありがとうございます」 「はーい、みなさん、今から読み聞かせをしてくださいます。立ちましょう」  クラスのみんながジャンプするように、立ち上がる。  大きな声で「おはようございます」と言うと、元気に「おはようございます」と返ってきた。先生が「座りましょう」と声をかける。私も腰かける。  この人、だれだったっけ? という顔をしている。 「私は4月から図書室にいます、赤木といいます。よろしくお願いします」  先生が「お願いします」と言うと、「おねがいします!」とまた元気な声がした。    私は左手に絵本を持ち、表紙を見せる。子どもたちを見渡す。  子どもたちの目も、一斉に私を見る。  私は、鼻からすうっと息を吸い込むと、静かに「たんぽぽ 作・甲斐信枝」と語り出した。    もともと、読み聞かせは、淡々と語るように言われている。声色を使ったり感情をこめすぎると、読み手ばかりが印象に残ってしまい、肝心の絵本が伝わっていないということになる。あくまでも、主役は絵本なのだ。  一番前の男の子が、上履きのひもを触り出した。  平坦な話だから、おもしろくなくなってきたのかな。  私は、ほんの少しだけ声を張る。  そして、あの綿毛の飛ぶシーンになった。  この絵本を選んだ理由は、このしかけだ。  見開きのページが観音開きになって、左右に大きく広がる。2倍になるのだ。  みんなの顔が、わあっと花開くようだった。「わあ」と声を上げる子もいた。  その時になって、やっと、ひもを触っていた子が周りの気配に顔を上げた。きょろきょろした。そして前を向き、綿毛のページを見て、ぽかんとした。  私は最後の見開きまでゆっくり見せると、裏表紙を見せ、そしてもう一度表紙を見せた。 「たんぽぽというお話でした」  そう言っておじぎをすると、ぱちぱちと拍手が聞こえた。 「今日は、これでおしまいです」 「はい、みなさん、今日は3時間目に図書室の本の借り方をお勉強します。こちらの赤木先生に教えてもらいます。それも楽しみですね。では、立ちましょう」  そうだった。このクラスだった、と思い出す。  お当番さんが「ありがとうございました」というと、そろえて「ありがとうございました!」と返ってきたが、初めより大きな声だった。  思わず、口元がゆるんで、私は笑顔になった。  すると、2年1組の子どもたちも、目を輝かせて、笑顔になった。  大休みになった。廊下からばたばと、走る音が聞こえる。  がらりと戸を開けて入って来たのは、朝、読み聞かせをした、2年1組の子たちだった。教室はクスノキ学級の隣だから、すぐそこだ。  3時間目に来ることを聞いたので、下見に来たな、と思った。 「ねえ、ねえ、ゾロリあるの」「あるなあ」「やった!」 「ねえ、ねえ、ここにある本、ぜーんぶ読んだの?」「うーん、まだ全部は読んでないなあ。だって何冊あると思う?」「えー、100さつ」「そんな少なくないって500さつやろ」「ぶぶー、1万冊です」「えー! 1万冊う?」 「ねえ、ねえ、本、だいだいだーいすき?」「それはもちろん、だーいすきだよ!」  おもしろいことに、これは、男の子ばかりだった。そして、あの上履きのひもを触っていた男の子もいっしょになって、声をあげて笑っていた。    本は魔法を秘めているのかな。  ほんの1冊、絵本を読んだだけで、私のことまで、この子たちは受け入れてくれたよ。たった1回絵本を読んだだけで、こんなに距離がちぢまったよ。  『ねこもり』の小森さんの言ってたとおりだった。  絵本が橋渡ししてくれるって。  ほんとにそうだった、とまた口元がゆるんだ。
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