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「一つ尋ねるが、お主の落とした斧は、この金の斧ではあるまいな?」
突如、湖の中から現れた女神が、まるで聞くだけ野暮だとでも言いたげに俺に尋ねた。
そして両手に持った金の斧を俺に差し出すそぶりを見せつつ、すぐに引っ込めた。
「はあ~。分かりきった事だというのに、何度も何度も同じ事を尋ねるのも何だか馬鹿馬鹿しくなってきたな」
きっとこの女神は、この湖に斧を落としたきこり達に、何度も何度も同じ質問を繰り返して来たのだろう。
確かに女神の気持ちは今の俺には痛いほど良く分かる。
同じことの繰り返し。そんな日々に俺もいい加減飽き飽きしていたからだ。
俺がこの世界に転生して、いったいどれだけの月日が経った事だろう。
俺は元いた世界で、とあるトラウマを抱えたまま生きて来た。
そのトラウマが俺の人生に深い影を落として来たのは間違いない事実だ。
出来ればもう一度あの時から人生をやり直したい。
何度そう思った事か。
だからこの異世界転生は、そんな願望の実現だと思った。
少なくとも転生した当初、俺はそう確信していた。
この異世界で人生のやり直し。
そう期待した日が俺にもあった。
しかし今はどうだ。
俺はこの異世界の人里離れた森の中できこりとして人生を過ごしている。
他人に会う事など滅多にない。
かつては魔王退治を本気で考えた事もあった。
それが俺の人生のやり直しになると直感したからだ。
しかしそれも遠い日の夢。
人には天分というものがある。
誰一人頼る者のいないこの異世界で、俺はそれを嫌というほど知った。
俺は魔王退治から落ちこぼれた人間。
元いた世界と同じように、この世界でも坂道を転がり落ちるように人目を避け続け、やがてこんな誰も来ないような場所でひっそりと生きて行く羽目になった。
せめてもの救いはこの世界に転生した際、きこりのスキルを与えられていた事だった。
おかげで俺はきこりとして何とか糊口をしのぐ事が出来た。
勿論最初はきこりのスキルなんぞではなく、なんでチートスキルをくれないんだとやたら腹を立てたものだ。
今となってはお恥ずかしい限りだ。
「して若者よ、脳内ナレーションしているところ申し訳ないのだが、話を続けて良いか?」
女神の言葉で俺の意識は目の前の現実に引き戻された。
よく見ると女神の両手からはいつの間にか金の斧が消えていた。
「女神様、それは一体?」
俺は何度もまばたきをしながら、女神が両手に持つ物を凝視した。
「たまには趣向を変えてみようと思ってな。どうだ、この金の玉は? まさかお主が落としたものではあるまい?」
目も眩むばかりに輝く巨大な黄金の玉に気を取られていた俺は、やがて自らの股間に視線を落とした。
何故そうしたのか俺にも良く分からない。
唯、そうしなければならないという切迫した気持ちが、俺の心の奥から湧き上がって来たのだ。
「女神様、俺が落としたのは鉄の斧です」
「それは分かっておる。分かってはおるが、お主、たった今、まさか! と思っただろ?」
「いいえ、思ってません、女神様」
そうは言いながら、不覚にも俺は再び自らの股間に視線を落としてしまった。
こいつはきっと……
俺の頭の中に遠い日の光景が甦った。
「ならば若者よ。お主は今、何を思う」
女神のその問いは、頭の中に浮かんだ遠い日の光景を更に鮮明にした。
こいつはきっと、過去への決着。
俺が今までずっと避けて来た過去への。
すべての始まりと言える、あの日への。
俺のトラウマの原因。
それは俺が幼い頃に人気を博した、とある子供番組に起因する。
それは幼い子供達を一般から公募し、その子達と司会のおねえさんとで歌ったり踊ったりゲームをしたりといった内容の番組だった。
恐らく俺は、その時に一生分の運を使い果たしてしまったのだろう。
その後の俺の人生を振り返れば、そう考えるのが一番辻褄が合う。
俺は何万人もの応募者の中から見事に選ばれ、番組に出演する事になった。
周りの誰もが俺を羨んだ。
それは当然だろう。
あの番組は当時、誰もが知る、そして幼い子供達やその親達の誰もが憧れる人気番組だったのだから。
その番組に出られる!
憧れのおねえさんと一緒に、歌ったり踊ったりゲームしたり出来る!
そんな思いが俺を舞い上がらせていたのかも知れない。
あの日、事件は起きた。
それは番組のゲームコーナーでの出来事だった。
それはおねえさんが出した質問に、子供達が次々に答えていくというゲームだった。
おねえさんはこう質問した。
『き』で始まるものは、なあに? と。
これ以上は説明不要だろう。
これは後に『きれいな○○事件』として世間に広く知れ渡ったのだから。
そして問題は、この事件を引き起こしたのがまぎれもなく俺だという事だ。
俺の所為で、あの人気子供番組はその歴史に幕を閉じた。
俺があんな放送事故を起こさなければ、今でも続いていたはずの人気子供番組が。
あの番組の七代目おねえさんだった彼女。
しかし人気が出掛かった矢先の放送事故は、彼女の運命をも暗転させた。
番組打ち切り後、彼女は人知れず姿を消した。
きっと俺の事を恨んでいるに違いない。
若気の至りとは言え、なんて事をしちまったんだ!
俺は悔やんでも悔やみきれなかった。
俺の両親は、俺の姿が画面から消えた後、俺が座っていた椅子に置かれていたクマのぬいぐるみがトラウマになったらしい。
あの日以来、両親はクマのぬいぐるみを見るたびに激しい眩暈に襲われるようになった。
「先程も言ったが若者よ、脳内ナレーションをしているところ申し訳ないのだが、話を続けて良いか?」
女神の言葉が再び俺を現実に引き戻した。
きっと女神はこう言いたいのだろう。
俺に過去との決着をつけろと。
上等だ。
つけてやろうじゃないか。
過去との決着を。
「さて若者よ。正直者のお主には、この二つの金の玉を授けよう」
「いいえ結構です、女神様。それより鉄の斧を返してください」
「鉄の斧? 確かにお主が落としたのは鉄の斧だろう。しかしお主が今、最も必要としているのはこの二つの金の玉だ!」
女神はきっぱり断言すると、二つの大きな黄金の玉を俺に無理矢理押し付けた。
おかげで俺は、危うく腰を抜かすところだった。
流石に黄金は重い。
今までの人生で黄金を手に持つ事など滅多になかったが、改めて今、その事を実感した。
「さて若者よ。お主は今、鉄の斧の代わりに二つの金の玉を手に入れた。鉄の斧を失った以上、このままきこりとして暮らして行く事は出来ぬ。しかし安心するが良い。お主にはこの女神が新たな任務を与えよう。この二つの金の玉を持ち、魔王退治に出掛けるのだ」
いや、二つの黄金の玉と魔王退治に一体何の関係があるんだ。
そう思ったのも束の間、もの凄い突風が吹き、二つの黄金の玉を持ったままの俺を森の外まで吹き飛ばした。
気を取り直した俺は、この二つの黄金の玉を持ったまま魔王退治に向かう事が俺の過去への決着に繋がるに違いないと予感し、このまま旅を続ける事にした。
やがて俺は魔王の元に辿り着いた。
一文無しだったが、大きな黄金の玉を二つも持っている俺に対して宿の主も武器屋も快くつけ払いに応じてくれた。
ここまでは徒歩での移動だった。
時間は掛かったが、おかげで当初はあれだけ重く感じた黄金の玉を今では軽々と扱えるほど、俺の筋力は発達した。
今の俺の筋力を以ってすれば魔王を倒す事も可能かも知れない。
なるほど。だから女神はこの二つの大きな黄金の玉を俺に持たせたのか。
そう納得しながら、俺は魔王の前に進み出た。
「あなたは!」
咄嗟の事に、俺はそう声を絞り出すのが精一杯だった。
目の前にいた魔王。
それはあの時のおねえさんその人だった。
そして彼女の横にいたのは……
あの時のクマのぬいぐるみだった。
「ようやく君と話す事が出来たね」
目が合った瞬間、ぬいぐるみはそう切り出した。
ってか、こいつしゃべれるのか!
ってか、こいつ生きてるのか!
「驚いているようだね。しかしそれも無理はない。この姿は、普通の人間にはただのぬいぐるみにしか見えないからね」
「お前は一体……」
「僕は妖精さんなんだ。君の元いた世界に、魔法少女をスカウトに来た」
魔法少女をスカウトに来た妖精さん!
その時、俺は全てを理解した。
全ての元凶、それは奴だ。
「君は僕を全ての元凶だと思っているようだけど、それは違うね」
クマのぬいぐるみの姿をした妖精さんは、相変わらず愛らしい顔をしながらも、それとは裏腹に俺に対する悪意を隠そうともせずそう述べた。
「君には分からないだろうね。魔法少女をスカウトしに来たはずの妖精さんの僕が、よりによって放送事故の置物にされて全国にその姿を晒されてしまった惨めさが」
まさか!
俺はこの時、ようやく気付いた。
俺はあの放送事故で自分自身を含め、多くの人々の人生を狂わせてしまった事を自覚していたつもりだった。
しかしまさか、妖精さんの人生まで狂わせていたとは!
「ようやく気付いたようだね。そうさ。僕は魔法少女をスカウトしつつ、そのサポート役としてあくまであまり目立ち過ぎないように活躍しなければいけなかったのさ。それが妖精界の掟だからね。ところが君のおかげで僕は目立ち過ぎてしまった。全国津々浦々僕を知らない者などいないほどにね。おかげで僕は、妖精界から魔法少女のスカウト役の職を解かれてしまったんだ。折角苦労して手に入れたこの職を!」
クマのぬいぐるみ姿の妖精さんの愛らしい目は、いつの間にか憎悪むき出しの目に変わっていた。
「本来僕は、若くて健気で可愛い、小さなお友達の憧れになるような、そして別の意味で大きなお友達の憧れになるような、そんな少女達を魔法少女にするはずだったんだ。それを君は……それを君は……」
クマのぬいぐるみ姿の妖精さんは、俺に怒りの目を向けたまま途中で言葉に詰まってしまった。
「その時、僕は気付いたんだ。僕のすぐ側に、僕と同じくやさぐれてしまった人物がいる事に」
そう言って妖精さんは視線を隣の魔王に向けた。
魔王こと、あの番組の七代目おねえさん。
彼女とこのクマのぬいぐるみ姿の妖精さんとの間で一体何が?
「どうやら君は知りたいようだね。僕と彼女の関係を」
しかし妖精さんがそう言い終わるか終わらないかのうちに、魔王こと七代目おねえさんが俺に攻撃魔法を放った。
「ぐっ!」
間一髪。俺は両手に持つ二つの大きな黄金の玉で何とか魔法攻撃を凌いだ。
やはりこの黄金、女神から与えられただけのことはある。
何しろ魔王の攻撃魔法さえ防げるのだから。
攻撃魔法の魔力を吸収すると、二つの黄金の玉は突然眩く輝き始めた。
その様に見とれるかのように、魔王こと七代目おねえさんは
「なんてきれいな……」
そう呟いた。
しかしその直後!
おねえさんは急に頭を両手で抱え、苦しそうに俯いた。
「どうやら彼女、過去のトラウマが甦ったようだね」
しまった!
もっと早く気付くべきだった!
俺がこの二つの黄金の玉を持って戦う事自体が、彼女の過去のトラウマを抉り出す事になる。
そんなの分かりきっていた事じゃないか!
俺は深い自責の念に駆られた。
それにしても……
俺の頭にある疑問がふと浮かんだ。
何でただの人間だった彼女が、こんな攻撃魔法を?
そもそも何で彼女は魔王とまで呼ばれるようになったのか?
「ようやくそこに気付いたようだね」
クマのぬいぐるみ姿の妖精さんが、まるで俺の心を読んだかのように述べた。
「そうさ。彼女は僕が魔法少女にしたんだ。魔法少女と呼ぶには歳が行き過ぎていたけれど、この際、僕にはどうでも良かった。僕は魔法少女のスカウトとしての任務を果たせれば何でも良かったんだ。だから僕は彼女を魔法少女にした。そして僕は彼女と二人で誓ったんだ。この復讐を果たそうって!」
みんなの憧れだった素敵なおねえさん。そしてクマのぬいぐるみのような姿の愛らしい妖精さん。
まるで天使みたいなこの二人を、俺は堕天使にしちまったのか!
「その通りさ。堕天使になった僕ら二人は、この異世界にやって来たのさ。元いた世界は妖精界からの監視が厳しくて、僕らの復讐を果たせそうになかったからね」
妖精さんのこの言葉に、俺はようやく全てを悟った。
俺がこの世界に転生したのも、きっと……
「ようやく気付いたようだね。そうさ。君をこの世界に転生させたのは僕らさ。僕らの復讐の為に、君をこの世界に呼び寄せたのさ」
なんてこった!
俺は自らの過去に向き合わなければならないと思っていた。
その覚悟は出来ていた。
そのはずだった。
しかし……
俺の生みだした罪は、こんなにも重いものだったのか!
両手に持つ二つの大きな黄金の玉の重さがまるで蘇ったかのように、俺の全身に強い重力が掛かった。
いや、全ては気のせいに過ぎない。
俺の筋力は今でもこの重い黄金の玉を軽々と支えていた。
しかし俺の心は、今にもこの重力に押しつぶされそうだった。
しかしその時だった。
「何を呆けておる! お主、過去に決着をつけるのではなかったのか?」
聞き覚えのある声が、背後から響いた。
「女神様!」
振り向くと、あの湖の女神が俺を睨むように立っていた。
「この世界には、過去、何名もの魔王が現れた。この世界を加護する女神である私は、その度にそ奴らを退治して来た。何故ならそ奴らはこの世界で生まれた魔王だったからだ。しかし……」
そう言い掛けると女神は視線をおねえさんと妖精さんに移した。
「そうさ。僕らは別の世界からやって来た存在。そんな僕らをこの世界の女神が退治する事なんて無理なのさ」
妖精さんは女神と目が合った途端、口角を上げると、得意げに語った。
「退治するだけならこの女神でも可能だ。しかしこの者達を退治しただけでは、この者達が抱えるトラウマがこの世界にもたらした歪みを修復する事は出来ぬ。故に私は待っておったのだ。お主が過去と決着をつけようと決心する時を!」
女神は再び俺に視線を向けると、今度は頼もしそうに微笑んだ。
そしてこの時、俺は全てを悟った。
俺がこの世界に転生したのは、おねえさんと妖精さんに仕組まれての事。
それと同様に、俺が二つの大きな黄金の玉を手に入れてこの二人の前までやって来たのも、いや、そもそも俺がきこりとしてあの湖にやって来た事さえも、女神が仕組んだ事だったのだ。
「君は少し勘違いしているようだね」
しかしそんな俺を嘲笑うかのように、妖精さんはそう切り出した。
「この世界に転生した君にきこりのスキルを与えたのは、変装したこの僕なんだ」
「なんだって!」
唾が飛び散るのもお構いなしに俺は叫んだ。
おかげで飛び散った唾をそのフカフカの体にもろに浴びたクマのぬいぐるみ姿の妖精さんが、迷惑そうに顔をしかめた。
「この世界に転生した君は、てっきりチートスキルを与えられると思ったはずだ。そして余裕で魔王退治が出来るはずだと」
確かに妖精さんの言う通り、この世界に転生した俺は、ごく当たり前のようにそれを期待した。
「だからこそ、僕は君にきこりのスキルを与えたのさ。それが僕らの復讐だからね。折角この世界に転生したのに、チートスキルを得られず魔王退治も出来ない。異世界に転生した者として、これほど惨めな人生などないだろうからね」
な、なんて事だ!
妖精さんの話に俺は呻き声を上げた。
チートスキルを得て魔王退治に向かう。
それは異世界転生者としての約束された人生。
俺は長い間、ずっとそう信じて来た。
その信念が今、目の前で音を立てて崩れ去った。
俺の信じて来た未来など最初からなかったのだと。
「フフフ。ようやく分かったようだね、君は。そうさ、僕らだって最初は輝かしい未来を信じていたんだ。僕は魔法少女をスカウトする妖精さんとしての輝かしい未来を。そして彼女は人気子供番組のおねえさんとしての輝かしい未来を。そんな輝かしい未来を全て台無しにしたのは、他の誰でもない、君自身なんだよ! だから君は償う必要がある。僕らの復讐をその身に受ける事でね」
俺がこの二人にしでかした事。
それを思い知らせる為に、この二人はこんな復讐を!
輝かしい未来を台無しにされた事を思い知らせる為に、俺にもこの異世界での輝かしい未来を期待させたと。
そしてすぐさま奈落の底へ突き落としたと!
なんて事だ!
自分がしでかした事が全ての元凶とは言え、俺はこれほどまでの憎悪をこの二人から受けていた事に愕然とした。
全身から一気に力が抜けていくのを感じた。
「だから、何を呆けておるのだ! 先程も言ったが、お主、過去に決着をつけるのだろう?」
確かに俺は過去との決着をつけるつもりだった。
しかしこれ程までに憎悪に凝り固まっているこの二人を相手に、どう決着をつけろというのだ。
俺はまるで八つ当たりをするかのように、女神の顔を睨んだ。
「ほう! なかなか良い面構えではないか。ならば一つ、お主にいい事を教えてやろう」
俺の鋭い視線になどまるで動じないかのように、女神は不敵な笑みを浮かべた。
と同時に、女神は見覚えのある物体をどこからか取り出した。
それは金の斧だった。
「以前も聞いたと思うが、お主の落とした物は、この金の斧ではあるまいな?」
そう言うと同時に、女神は金の斧を俺に向かって放り投げた。
何て危ない事を!
そう思いつつ、俺は両手に持つ二つの大きな黄金の玉で斧を真剣白刃取りした。
「ほう! その重い金の玉を両手に持ちながら、機敏に真剣白刃取りが出来るとは、やはり私の思った通り、お主の肉体は相当鍛えられているようだな」
「ちょっと女神様! 何て危ない事を!」
女神の訳の分からない言動に俺は思わず声を荒げた。
「それではお主が両手に持つその二つの金の玉はもはや必要あるまい。返してもらおう」
女神がそう言うと、二つの黄金の玉はまるで吸い寄せられるかのように俺の手を離れ、女神の元へ向かった。
「今のお主に必要な物は金の玉ではなくその金の斧だ。どうだ、それを振ってみぬか?」
そして女神はまた訳の分からない事を言いだした。
女神の言いなりになるのは癪だったが、この世界で長年きこりとして暮らして来た俺は、斧を手にした途端、条件反射的にそれを振り始めた。
なんて事だ!
金の斧を振り始めた瞬間、俺はその事に気付いた。
ここまで来る長い旅の間、俺はずっと二つの大きな黄金の玉を持ち続けていた。
それが俺の筋力を恐ろしいほどにまで鍛え上げていた事は俺も薄々感づいていたが、この金の斧を振った途端、それが俺の予想以上だった事に気付いた。
鉄よりも遥かに重いはずの金の斧が、まるで紙よりも軽く感じるのだ。
「そうだ。今のお主の筋力なら、その金の斧を光よりも速く振り抜く事すら可能だ。そうなるように、私がお主にこの二つの金の玉を持たせてここまで旅をさせたのだからな」
「なんだって!」
今度はクマのぬいぐるみ姿の妖精さんが、唾をまき散らしながら大声を上げた。
「女神、お前はまさか!」
「そのまさかだ、妖精よ。斧の速度が光の速さを超えた時、因果律は崩壊し全て過去からのやり直しとなる。私の狙いはそこだったのだ。貴様らが復讐を始めるきっかけとなった事件、貴様らが元いた世界で過去に起こった放送事故、それを過去に戻って防げば、もはや貴様らの復讐も、貴様らのトラウマも存在しなくなる! だからこそ、この者を過去に戻すのだ。この者自身に過去との決着をつけさせるためにな!」
ようやく全てを悟った俺は、女神と目が合うと軽く一瞥した。
俺の目には、不敵な笑みで俺を見送る女神の姿がいつまでも焼き付いていた。
そして……
俺は戻っていた。
元いた世界に。
幼かったあの頃に。
「『き』で始まるものは、なあに?」
そう質問する、目の前の人物の顔を俺は凝視した。
そこには紛れもない、あの頃の憧れのおねえさんの姿があった。
子供達が手を挙げておねえさんの質問に次々に答えて行く。
――きりん!
――きのこ!
――きこり!
おねえさんに答を褒められ、有頂天になる子供達。
俺の記憶の中の光景と全く同じやり取りが、俺の目の前で続いていた。
そして次の子が答える。
――きれいなおねえさん!
瞳をキラキラ輝かせておねえさんを見つめる子。
しかしその答に不満な子供達が、ブーイングを始める。
おねえさんは優しくブーイングをおさめると、満更でもない笑顔を見せる。
ここまでは俺の記憶と全く同じだった。
そして……
俺はゆっくり深呼吸をした。
俺の記憶の通りなら、次は俺の番だった。
いよいよ俺が過去に決着をつける時だ。
そう思うと、自然に体が武者震いを始めた。
あの間違いを決して繰り返してはならない。
新たな未来を築き上げねばならない。
誰もが憧れる、輝かしい未来を。
そう決心し、俺はゆっくり手を挙げた。
先程の『きれいなおねえさん』との答に、いつも以上に優しい笑顔を浮かべたおねえさんは、俺の名を呼んだ。
俺に素敵な答を期待するかのような素敵な声で。
俺はもう一度深呼吸すると、ゆっくり口を開いた。
「きれいな金の斧!」
そして一気に答えると、満面の笑みを浮かべた。
やった!
上出来だ!
これで輝かしい未来は約束された。
俺は長年の呪縛からとうとう解放されたのだ。
そう思ったのも束の間だった。
「『金の斧』に『きれいな』はいらなくね?」
おねえさんがぶっきらぼうな顔で俺にそう言った。
そのしばらく後だった。
番組のプロデューサーが青ざめた顔でやって来た。
幼い子供に対してあんなぶっきらぼうな言い方はなんだとの苦情の電話が殺到しているとの事だった。
同時に番組は臨時のCMに入り、おねえさんはプロデューサーからのお説教の後、その席から連れ出された。
そしておねえさんが座っていた席には、見覚えのあるクマのぬいぐるみが置かれた。
CMが明け全国津々浦々にその姿が映し出された直後、クマのぬいぐるみが俺を睨みながら小声で「ちっ」と舌打ちしたのを俺は見逃さなかった。
やれやれ、またやり直しか。
俺は心の中でそっと呟いた。
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