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 お偉方の挨拶が終わると、あちこちで人が動き出し、行き交う。さながらダンスパーティーのごとき様相、ここはまさに社交場で、一人でも多くに顔を売り、人脈を作るためのフットワークを叶える立食形式だ。崇は乾杯用のシャンパンに口を付けながら、それらの様子を眺めている。見渡す限りの人々はみな楽しそうに語らっているが、ざわめきを構成する音声は一つとして明確な形で耳に入ってくることはなく、束の間、異邦人のような気分になる。  挨拶をしておきたい前担当は、現編集長という難関。こんな機会でもないと会わない作家仲間、などという絶妙な関係の同業者もちらほら見えることだし、とりあえずは彼らと情報交換でもしようか――決め込んだ見物の姿勢を崩さずにグラスを傾けていると、人と人の合間を縫って、危なげない足取りで彼は近づいてきた。両手を駆使して器用に三枚の皿を持った、鮮やかな給仕のスタイル。それを一枚ずつテーブルに置きながら、にぱっ、人懐こく笑う。 「ブロッコリーのアンチョビ和えと、トマトソースのペンネと、ほうれん草とベーコンのキッシュ。で、えーっと、こっちが鯛のポワレで、こっちがローストビーフ。ののめ先生、肉と魚どっちが好きですか?」  もちろん彼はウェイターではないし、そもそも食事はセルフサービスだ。 「いい手つきだね。レストランで働いてたの?」 「高校生からずっと、ファミレスでバイトしてました」 「なるほど」 「ののめ先生は、普段何呑んでます?」 「ビールか日本酒」 「わー、チョイス間違えたっぽい、他の取ってきます」 「いいよ、それよりきみは」 「フジマルです」 「知ってる。フジマルくんは、他に行くテーブルがあるんじゃないかな」 「え?なんでですか?」  きょとんとしないでほしい。  その整った顔を売るべきは、少なくとも自分ではないだろう。コンスタントに発表してはいるものの、執筆中のタイトルは一つ、多作や速筆のイメージなどまずないだろうしその実績もない作家に、彼を起用するような働きは期待できまい。  縦型の洒落た名刺には、全て片仮名でフジマルユキと記されている。  彼は時流によって生まれた存在だ。  巨大イラスト投稿サイトで人気を誇ってきた、冠に神がつく部類の絵師。昨年の商業デビュー以来、活動のフィールドはネット内に留まらなくなった。前号のザ・トレッキングの表紙を彼のイラストが飾ったのも、記憶に新しい。 「向こうにうちの編集長いるよ」 「知ってます」 「そうか」 「あ、もしかして」 「ん」 「俺、鬱陶しい?」 「ちょっと違う」 「ちょっとかあ……」  芝居がかった仕草で首を傾げ、しばし空涙を浮かべるようにしてみせたが、すぐまた笑う。 「いいんです。俺、ののめ先生に会うために、今日ここに来たんで」 「へえ」  あの第一声は幻聴ではなかったらしい。再び、一瞬、呆気に取られる。 「ほんとです、ずっと好きだったんです」 「へーえ」  言葉にも用量や用法がある。間違えれば効き目はない。それを見事に体現してみせた彼は、ふと視線を逸らし、すいませーん、と居酒屋の大学生のような調子で片手を上げる。ワゴンを押したスタッフが通りがかるのを見つけたらしい、瓶ビールを一本調達すると、グラスを一つこちらに差し出してきた。
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