生きる働く

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生きる働く

──私が本当に書きたいのはなにか その答えがここにあった。 元々小説などの書籍に関する知識が全くなかったが、最近になって、このような形式の文章はエッセイに属するという事を知った。ちなみにエッセイとは、自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。だそう。 こっちの方が合っている気がするので、きっと物語はもう書かない。 別作品で前述したように私はある職業を目指すための専門学校に通っている。ある職業とは、大まかにいうとクリエイティブ系で入った理由は、好きなことを職業にして生きていきたかったから。そんな気持ちはとうに無くなってしまったが。私の最初に書いた作品である20歳の分岐から引用すると ──[好きな仕事してる人なんて一握り? いや、絶対に好きな仕事をしてやるー!って思ってる人が一握りだってだけなんじゃない?] おそらく高校の時の自分ならば称賛していた。その頃と全く同じ考えだから。しかし、私はやりたいことを仕事にするために、その職種の専門学校に通っている。そこで気づいたんだ。学びたいと思っていたことを学んでも、好きなことを仕事にした所でその後もそれが好きでいられる人が本当に"一握り"なんだと。おそらく世の中の仕事が楽しいと言っている人達は、最初は好きでもなかった仕事にやりがいや楽しみのようなものを後になって見つけた人達。── というような考えでいた。 ちなみに、私の通う学校では 「生活をするために働くな」 という、働くことに対しての意識的な教訓がある。この意見には私も共感していて、働くことに対しての意味が無いのなら。生活のためだけに働いているのなら。それは、ただ"存在しているだけ"の人になってしまうと思うから。しかし、好きだったものが好きではなくなってしまった今、私の働く事にたいしてのモチベーションは無く、誰かのためになるもの作ったり、世に残るようなものを作ったり、そんな気持ちは更々ない。でも、生活をするために働くような存在しているだけの人にもなりたくない。そんなの、ばかばかしいじゃない。それって生きる意味ある?恐らく多くの人が悩むような悩みではない気がして誰にも話せないでいた。 最近ある推理ゲームにハマっていて、その中で行き詰まった時は逆転の発想をすればいい。という場面がある。働くことに意味を持つ人達がいるのに生活をするために働く人は存在しているだけ。ではなく、働く事に意味を持つ人がいるのなら、その逆に生活する事にも意味がもてるのでは?と考えた。生活に意味があるとしたら…趣味なんて安直な考えでは納得できない。家族?恋人?大切な人? そう、自分以外の"誰か"のための生活。そんな生活があれば、生活することに意味があるのではないか。この先の長い未来、結婚するかもしれない、子供もできるかもしれない。社会に出るというのは、働くことだけじゃないんだ。なんて愚かな考えだったのだろうか。 深夜のテンションで書いた乱文だが、頭は回ってなくても地球は回り続けてるのでよし。 でも、ぶっちゃけ働きたくない。
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