エレベーターの恐怖

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「オー、イエーイ!!」 「ウイー!!」 「飲め飲め!!」  そのパーティーの盛り上がり様は日付をまたいでも落ちなかった。はて、来週に控えるマンション集会で何と言われるだろうか。ここを買った時に不動産屋の広告にあった「完全防音」の四文字を信じたいが、追い出されても文句は言えないほどの騒ぎだ。ギターを弾き始めた奴もいる。  酒が体中に回り、もはや何の祝いだったのかも憶えていない。それとも、特に理由などなかったのだろうか。 「おい、また缶足りなくなったぞ」 「ハハハ……。これで何回目だよ」  ある程度の広さはあるリビングだが、真ん中に机を出して十人ほどで囲めばもう一杯だ。男たちの汗の臭いと、焼き肉やらたこ焼きやらの臭いが混じって部屋の中に充満している。暖房の効き過ぎだろうか。いや、止めたら凍死してしまう。 「よーし、ジャンケンだ!!」 「とりあえず、4人で7缶ずつくらいだな!」 「もうコンビニも売り切れだろうよ!」 「三回連続はまっぴらごめんだぞ!!」 「望むところだ!!」  皆かなり酔っている。寝たふりをしようかと思ったが、間に合わなかった。あいこが十何回か続いて、最後にチョキとグーに分かれた。チョキが三人で、そのうちの一人が俺だった。ああ、なんでだよ。なんで主催者である筈の、そうでなくても部屋を貸している俺が引っ掛からなくちゃいけないんだよ。  外。それは地獄のような寒さに覆われた、死の空間だった。二時間前にもパーを出して負け、コンビニまでの冒険を経験していた。百年前にノルウェーのアムンゼン隊が南極点を目指していた時も同じような気持ちだったのだろうか。コンビニからの帰還途中に倒れるなんてスコット隊みたいにならなければ、白瀬隊のように途中で吐いて逃げ戻ってきても構わないだろう。白瀬さんには失礼だが。 「先に行っててくれ」  俺は他の三人が玄関でダウンコートを着ている様子を目の端に置きながら、トイレに入った。これはただ逃げているだけなのだろうか。そう考えているうちに、さっきまであった尿意はどこかへ飛んで行ってしまった。 「俺、金麦な!」 「俺は本麒麟で」 「あ、僕は麦とホップでお願い」 「ヱビス以外買ってきたら、もう一回買い替えてきて貰うからな!!」 「うるさい!! 買ってきてもらうんだから大人しくアサヒで我慢しろ!! 無かったら手ぶらで帰ってきてやる!!」  その後の非難の言葉には耳を貸さず、俺は廊下に出た。途端に、冷たい空気が俺を飲み込んでゆく。 「ヒェ、ヘクション!!」  先に出た三人はもういなかった。ここは8階なので、エレベーターを呼ぶ。「下」のボタンを押した時、背中にゾックと悪寒が走った。何か物凄く嫌な予感が、頭の中でショートし始めた。  エレベーターの扉が開くと、先にコンビニに向かっていた筈の三人のうち、一人がそこから飛び出してきた。まだ知り合ってから数週間で敬語で話したことしかなかったが、酔いにまかせて身体で彼を食い止めようとした。  ところが、俺は口を噤んでしまった。身の毛がよだつ。無言で走り去っていった彼の一瞬だけ見えた顔は、血の気が引いた、真っ青なものだった。冷たい風が吹き抜け、思わず身震いする。こんなに早く買って戻ってこられる筈がないし、第一彼は手ぶらだった。寒くて急にトイレに行きたくなったのだろうか。 「!!」  首を傾げながらエレベーターに乗ろうとした俺は、もう一人乗っているのに気付いた。赤い頭巾を被った少女が、エレベーターの奥で何故かつま先立ちをしていた。顔までは暗くてよく見えない。 「あ、こんばんは」  返事はなかった。彼女の様子を窺おうとしたその時、異変に気が付いた。 「……これ、ないぞ……?」  ちょうど扉が閉まった後だった。エレベーターは降下をはじめた。俺は階のボタンを押していないのに。 「こ、これは、どういうことだ……?」  心なしか、エレベーターは普段よりハイスピードな気がする。速い。4、3、2、1。そのままスピードが落ちることもなく、地下の底へと突き進んでいた。止められない。なぜなら、 「ない、ない、……ボタンがない!!」  どのくらい落ちたのだろうか。エレベーターはゆっくりと減速していき、やがてピタリと止まった。何も見えない。真っ暗だ。扉は開かないので、勿論外へは出られない。というか、外なのか地中なのかも分からない。もしかしたら駐車場かもしれないし、下水道かもしれない。扉をドンドンと叩いたり、無理矢理開けようとしたりと脱出を試みたが、最新式のエレベーターはビクともしなかった。思わず上を見上げた。その時になって初めて、このエレベーターが密閉されているのに気が付いた。 「え、えと……お嬢ちゃん?」  さっきからずっと一緒に乗っていた筈なのに、その赤い頭巾の少女はまったく気配を感じさせなかった。それどころか、少女はまったく身動きを取らず、8階の時と同じ態勢を取っていた。瞬間、全身に鳥肌が立った。 「う、うう、う……」  浮いていた。少女の足のつま先とエレベーターのタイルとの間には明確に隙間があった。最初は光の加減やエレベーターの背後の壁紙と同じ色合いだったせいで気づかなかったが、少女の頭上には真っ直ぐに細いロープが伸びており、その赤に覆われた首が吊るされていた。 「ど、どど、ど、ど、どうすりゃ……どうすりゃいいんだ……!!」  寒く、重い空気のエレベーターの中で、今度は電気がチカチカと点滅をはじめた。 「こ、今度はなんだよ、もう……」  白瀬隊は南極点に辿り着けなかったが、ちゃんと生きて帰ってきた。スコット隊は南極点に辿り着くも、帰る途中に遭難した。俺は今、ビールも買えずに遭難している。寒い。 「み、み、み、みよ、み、みよ、みこ、み、みよこ、みよこ……!!」  間違いなかった。身体は子供だったが、頭巾の下から覗くその死に顔は2か月前に別れ、その後消息不明となっていた元カノ・ミヨコだった。そして今、点滅するミヨコの口元が、若干緩んだような気がしたのだ。 「は……!!!」  突然エレベーターの中に鳴り響いたブザーのせいなのか、それともミヨコの唇が歪んだからなのか、はたまたそのどちらともが原因なのか、俺は尻もちをついた。  俺の荒い呼吸と、ブーという音だけが、エレベーターに響いている。ますます訳が分からない。今、このエレベーターに乗っているのは二人だけだ。定員オーバーな筈がない。 「ヒャッ……」  本当はギャーと叫びたかったのだが、それ以上は声が出なかった。点滅するエレベーターの中、ミヨコはその眼球を大きく見開き、口の端を釣り上げて笑みを浮かべ、動けなくなった俺を睨みつけていた。宙に吊るされたまま、赤い頭巾の下から冷たく、鋭く。  電気はプツリと消えた。代わりに、女の甲高い笑い声がいつまでもエレベーターの中にこだましていた。
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