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プロローグ
曇り空。落雷こそ無いものの、大粒の雨が降り注ぐ。
「ッ…!ハァッ……ハァッ……クッソ!」
草木のない荒野に数多の骸が積み重なっていた。いったいなにがあったのか。骸は獣とも見れれば、異型の生物とも見れる。
「ガハッ!……ペッ!ハァ……チィッ!……なにが……なにが起きてやがるッ…!……コボッ!…ガハッ!……ゼェ…ハァ…」
数多の骸が積み重なる中央。そこは不自然に空間ができていた。刀が一本、地面に突き刺さっている。
峰は薄紫に煌めき、刃は白銀の輝きを放ち、鍔は無く、柄には雑に巻かれた白布が持ち主なのか他の者なのかの血で赤黒く染まっている。頭に結つけられている黒い帯紐は刀本体よりも長く、地に着いていた。
「ゴボッ……ゲホッ……原因不明とか……ガハッ!ガハッ!……1番……つまらねぇ…」
その妖しくも見る者を魅力する刀に縋り着くように少年が居た。両膝を地につけ、両手は柄にしがみつき、全体重を刀に預けて少年は満身創痍で血を吐き散らしながら悪態をつく。
突然、刀が妖しく光輝いた。直ぐに光は収まったものの、骸と刀と少年しか居なかったこの場に似つかわしくない幼い少女が現れた。
幼い少女は着物を綺麗に着こなして居るが、胸元は大きくはだけている。色素を失ってしまったような美しく透き通るような白髪は少女の体を覆ってしまいそうなほど長い。その少女は腰に両手を付き肩幅に足を広げ、頭上に生えた二つの耳をピクピクと揺らしながら、少年を鋭く睨む。
「主よ、何故言わなんだ」
「ハァ……ハァ……あぁ……?知らなきゃ…言うも…なにも…ないだろうが…ゴボッ……ゴホッ…」
今にも、倒れ伏してしまいそうな少年は忌々しげに少女を見ながら言い放つ。
胸の前で腕を組み少年の言葉を聞いた少女は、諦めたかのようにため息を吐くと、その小さな右手で髪をかき分けた。
透き通るような白髪は、小さな右手に一切逆らう事無くサラサラと舞う。左手は腰に置き、右手は力なく降ろす。そして呆れ果てたかのような表情を隠すこともなくだし、口を開いた。
「……主の体は限界じゃ。儂が見る限り原因は二つじゃが…。じゃが、原因がわかった所でどうにかなるものでもありはすまい。」
「……ヒュー……ヒュー……」
顎に右手を当てて、思案顔になる幼女だが当の主は限界に近かった。幼女の濃い碧の瞳に幾何学模様が現れ淡く光り出す。その眼で主の容態を見ているのだろうか。幼女は瞬きすら忘れじっと主を見続ける。
「ふむ。失敗による不完全からきた弊害であろうな。儂の見解はハズレておらなんだ。全身の筋肉が断裂。内臓に限っては…ふむ、ぐちゃぐちゃじゃの。」
主の生死の彷徨いなど意に介した様子もなく、幼女はただただ事実を述べる。その間も少年は苦しみ悶える。
不意に幼女は嗤う。その表情からは悪戯を思いついたような年相応の顔とも取れれば、主を試すようなどこか大人びた表情も垣間見える。そして幼女は口を開いた。
「主よ。儂は妙案を思いついたぞ?」
少年は果たしてその声が聞こえているのかいないのか。今にも支えである刀から崩れ落ちそうなほど苦しげな表情を浮かべ、時折呻く。幼女はそんな主に構うことなく続けた。
「対価じゃ。」
その何を指すのか、当人同士でなければ分かりえない言葉を告げた。
「ゴボッ……チッ……ほんと……おまえ゛は……」
苦しみつつもしっかりと聞いていたのだろう。だが、その声は悔しげで苦虫を噛み潰したように襲い来る身体的な苦しみとは別の苦しみをその表情に滲ませていた。
「主よ。そんな軽口を叩いておる場合ではあるまい?いつなんどきであれ、変わらぬ主を心底慕っておるのは確かじゃが、今は一刻を争うじゃろうて。」
幼女の表情は相も変わらず微笑みとも取れるように嗤っていた。その両腕は大きく前に開き、なにかを迎え入れるかのように少年と相対する。
「……も…って……いけ……」
全身を引き裂かれる痛みに、体内を掻き回されるような痛み、それに必死に耐えながらも絞り出した言葉と共に1度も見る事のなかった幼女を見た。
想像を絶するであろう痛みの中でも、その少年の表情は無だった。もし仮に、この惨状を知りもせずこの少年のことを知らない人物が今の少年の顔を見ても、なにも思うことはないだろう。ただ、ほんの少しの不気味さは覚えるだろうか。
だが、幼女には分かっていた。その無を表した表情の中にある、黒い双眸からはハッキリとした意思があることを。そして、幼女はその黒い双眸を見つめて自らの体が火照るのを感じたが、すぐに思考を切り替える。
我が主は許可を出したのだ。
我が主は我を求めたのだ。
ここに契約は成された。
幼女はその大きく広げた両腕で、自らを抱き締めると共に、その余りにも整い過ぎた容姿を歪ませた。見る者によっては、悪魔とも死神とも取れるその表情だが、当の本人は悦びと快感に身を捩らせているだけであった。
時間にして数分。幼女はその身を悶えさせていたが、ふと主を見れば既に意識を無くしていた。
「…………まったく世話のかかる主じゃて。…ふふっ。だからこそ儂が居らねばなるまい。」
幼女は右手を少年へと突き出す。少年から白く光る何かが出てくるとそれを掴みとり、食べた。
幼女の頭から生えた二つの尖った白い耳は、忙しなくピクピクと動く。火照り、顔を紅く染めた幼女は口の端から涎が零れ落ちている事に気がつくと、妖艶に舌舐めずりをした。
唐突に幼女の体は輝きだす。
神聖な輝きなどでは決してない。
黒い。どこまでも黒く、人々の不安を掻き立てるように黒く深い闇。それはいつしかモヤとなり、幼女の体から発せられ少年と幼女を包むように辺りを覆い尽くした。
暫く。
球状に揺れ動いていた黒く暗い闇が、蒸散するように晴れた。
数多の死骸が転がる地に、透き通るような白髪が目立つ。白髪を際立たせるように黒い着物をきた女性はその色気を惜しげも無く辺りに晒す。妖艶に微笑み正座をするその太腿には、黒く艶やかな長髪をした少女がいた。
少女を人間と呼ぶには少し戸惑われる。
容姿そのものは人と変わらない。いや、数いる人々の中でもその美形であり整い過ぎた容姿や女性なら誰でも羨んでしまうような、胸、腰回り、脚を持っていた。容姿端麗、完璧なまでの姿。
では何故、人間と呼ぶには戸惑われるのか。
それは一目見れば、誰しもが分かる事だった。黒く艶やかな髪の頭頂部には、二つの黒い尖った耳。柔らかそうで、触り心地の良さそうなその耳も一目で他の目を奪うほど目立つが、それよりもさらに人の目を奪ってしまうものが少女には存在した。
尾だ。
尻尾。それは人間には絶対にないものである。黒い毛並みはふさふさと触り心地良さそうな印象を一目で与える。黒い毛並みに混じって赤い毛並みが模様を描くように混ざっているが、どんな模様かなど気に止める者は少ないだろう。なにせ一本でも人間には有り得ない代物なのに、少女には同じ尾が九つ存在するのだ。赤い毛並みの模様など、些細なことでしかない。
そんな少女は、死骸が転がる地に似つかわしくない程に無防備を晒し、こちらもまた絶世の美女とも言える白髪の女性の膝枕の上で、美しい顔を穏やかに、静かに寝息をたてていた。
「主よ。そなたは儂のものじゃ。永遠に、誰にも渡さぬ。あの勇者紛いにも、魔女にも、生ける英雄にも、雑多に言い寄る奴等には決して渡さぬ。主は儂のものじゃ。強くなれ主よ。悔しいが主が強くなる事でしか、主を繋ぎ止める事の出来ぬ忌々しきあの女もおるのじゃ。儂は悦んでそなたに全てを晒し、預け、捧げよう。そなたは儂を使い高みへ登るのじゃ。」
白髪の女性はそう口を開いた。
膝の上の主の頭を、大事に大事に、愛おしく慈しみ撫でる。何度も何度も撫で、そして囁いた。
「愛しておるぞ。ユウ」
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