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狐姫の影
夜もいい時間。わたしは安息の宿の屋根上に腰掛けて空を見上げている。
見上げた夜空には、月と星があった。元の世界とそんなに変わらない夜空。なぜか星座とかも一緒なんだよね。唯一、違うと言えば月だ。非常に大きく見える。たぶん距離が近いんだと思う。
異世界の夜は早い。時間で言えばたぶん夜の十時に当たる今の時間でも、出歩くのは酔っ払いが帰っているくらいで、どの建物の明かりもだいたいが消えている。わたしはこの異世界の夜が好きだ。とても心が安らぐ。
そろそろ、用事を済ませちゃおう。
わたしは目を閉じて、自分の特殊な魔力を練り上げる。左手に練り上げた魔力を溜め込んで、軽く屋根を二度ノックする。
叩いた位置から、魔力が放たれ見えない波動となってプラミール全土に広がる。これはプラミールには居るけど、どこに居るかもわからない相手にわたしの意志を伝える為に利用している方法だ。この波動に触れた者は、背筋を撫でられるような変な感覚を感じるものの、この波動を知らない人からすればただの勘違いで終わる。
けど、この波動を知っている者が触れれば…
「やっぱり一番乗りはノインだったね。」
ちょっと可笑しくてクスリと笑ってしまうわたし。わたしの背後に一人の気配がした。振り返ることはしない。
「…ユウの呼び出しなら直ぐに駆けつけるさ。…直ぐに来ない他の連中の気が知れない。」
最初こそ穏やかだったのに、不機嫌そうになるノイン。
「そんなこと言わないの。皆とはまだ馴染めそうもないの?」
「…努力はしてる。だが、あぁも個性的な連中ばかりだと骨が折れる。」
それは否定できないかなぁ、と心の中で思う。わたしは本当に困っている人を見ると放っておけないらしくて、ノインも助けてしまった。それから、ノインの意思でわたしの手伝いをしてくれている。
「ノインも変わったよね。助けてあげた時は、いつも穏やかで気の弱そうな人だったのに。」
「…それは言わないでくれ。経験したもので変わることもある。俺だってそうだ。」
そう言って、ノインはわたしの前に移動してきた。全身黒ずくめ。革製の服で身を固めて、黒いローブを羽織っている。顔は半分ほど黒い布で覆われていて黄色く輝く瞳が、夜の闇の中で一際存在感を主張する。短く乱雑に切り揃えられた水色の髪の間から時折見える瞳は、猫目でこちらを真っ直ぐに見ている。その頭頂部には水色の猫耳。月明かりに照らされてどこか幻想的な彼だが、機嫌が良いのかその腰から生やした三又の尻尾を微かに揺らしている。
「そういうものかな?」
「あぁ、そういうものだ。例外もあるらしいけどな。」
そう言いながら、意味深にわたしを見るノイン。…まぁ、ユウとユウジを知っている人なら誰もが思うことだろうから。そう、誰だって疑問に思ってることだと思う。お前、変わりすぎじゃないか?と。
「わたしはユウジ・トウジョウであって、ユウジ・トウジョウじゃないよ。わたしはわたし。ユウ・アトライト。」
わたしにはそう答えることしかできない。もちろんユウジ・トウジョウの頃の記憶は全てある。わたしがユウジ・トウジョウだったと言う確信もある。でも、あの日トーカと契約をしたあの日あの瞬間。わたしはユウ・アトライトになった。…生まれ変わったと言っても良いのかも知れない。
「…そうなんだろう。俺の知るユウジ・トウジョウとは違いすぎる。ユウ・アトライトが偽りだったとは思えないほど、馴染んでいるしな。」
「あはは…説明が難しいんだよね。でもね、ノイン。君の前に居るわたしは偽りじゃないよ。ユウ・アトライトはちゃんとここに居る。」
「あぁ、大丈夫だ。俺は…」
ノインのその言葉の続きを聞くことはできなかった。大事な話しそうだから気になるけど、他の皆が到着したみたいだ。
「おい、ノイン!貴様、姉様に近すぎるぞ!離れろ!姉様、大丈夫ですか!?男は皆野蛮です!気をつけて下さい!」
ノインがチッて舌打ちしながら離れて行く。こら、仲間なんだから舌打ちしちゃダメでしょ。
そして、到着するなりノインに敵意を剥き出しにして、わたしを姉様と呼んで擦り寄ってくるこの女の人はテレサ。
燃えるような赤髪と瞳が特徴的な、とてもグラマラスな女の人だ。大人の女性で、もちろんわたしより歳上なんだけど、なぜかわたしを姉様と呼ぶ。何度聞いても姉様は姉様ですので、としか答えてくれないので謎である。
「やっほー、テレサ。ノインとはもう仲間なんだから仲良くしてくれないと困るよ?」
「いいえ!姉様!いくら仲間と言えど男です!姉様になにかあってからでは、遅いのです!」
テレサのこの男性嫌いはなんとかならないのかな…。いや、無理か…。これは時間が解決してくれるのを待つしかないね。
「ヒック…キーキーうるせぇぞテレサ。それとユウ!人がせっかく酒呑んでいい気分になってたってのに呼び出しとは、なんの用だよ。」
「ギベットはいつもお酒飲んでるじゃん。いつ呼んでも一緒でしょ?でも、来たくないなら来なくても良いのに来てくれてありがとね。」
「おあ?お、おお。ま、まぁな?そりゃ、滅多に呼び出しなんてねぇからよ。たまにの呼び出しくらい来てやってもいいか、と思ってだな…」
この酔っ払いのおじさんはギベット。左目に眼帯をしてて、厳つい顔をしている山賊上がりみたいなおじさんで飲んでばっかり居る酔っ払いだけど、やる時はやってくれる頼りになるおじさんなのだ。…ちょっとツンデレっぽいところあるけど。おじさんのツンデレって誰が得するんだろうね…。
「貴様!わたしの名を気安く呼ぶばかりか、姉様にまでそんな態度とは何事か!あぁ…姉様、心を痛めていませんか?」
「ほんっと、キーキー、キーキーうるせぇなぁ…。」
このテレサの過保護具合はなんとかならないだろうか…。過保護はもう、トーカとフィーナでお腹いっぱいなんだけど…。
「ほらほら、お二人共。ユウ様が困っておられますよ。じゃれ合いもほどほどにして、本題に入りましょう。」
最後に登場したのは、ペウロ。この一見人当たりの良さそうなニコニコ紳士は、実は腹の中は真っ黒だったりする…。金髪碧眼の王道イケメンな彼だけど、この四人の中じゃ一番怖いんじゃないかな…?
「ありがと、ペウロ。」
「いえいえ。貸し一つですよ?」
ぐっ…。当たり前のように貸しを作ってくる…。これで何個目の貸しだろうか…。
「これで、六個目の貸しですか。いったい何で返してもらいましょうかねぇ…。」
ひぃぃ…。か、返せるのかな…?頑張ろう…。とほほ…。
「…まぁ、皆元気そうでなによりだよ。前回からだいぶ経ってるし、ちょっと気になってたんだよね。」
「姉様がわたしを気にかけて下さるなんてッ!わたしは幸せです!」
「黙れテレサ!話が進まねぇ!俺は早く酒を飲み直してぇんだよ!」
「なんですってぇ!?」
「「…………」」
いつものテレサとギベットのやり取り。いっつも喧嘩してる気がする。ノインは無言で目を閉じてるだけだし、ペウロはニコニコ笑顔のままだし…。はぁ…。
「あのね…。今回呼び出したのなんだけど、またワケあり依頼を受けて、そうだなぁ…たぶん一週間くらいここから離れる事になるから、その報告とその間のことのお願いをしにきたの。」
「…承知した。」
「姉様が遠くへ…心配だわ…。変な男に絡まれなければいいのだけど…。」
「とりあえず今まで通り、俺は飲んでればいいのか。わかったぞ。」
上からノイン、テレサ、ギベットの反応だ。ノインは素直でいいんだけど、テレサとギベットは不安しかない。…もう、慣れたからツッコんだりはしないけども。気になるのはペウロだ。今はニコニコ顔を潜めて、珍しく真面目顔をしてる。
「どうしたの?ペウロ。」
「ふむ、少々厄介事が舞い込んでいるみたいですが、なんとか対処してみましょう。問題が大きくなりそうなら、またユウ様にご報告します。」
「…?そう?わかったよ。それじゃ、今日はありがとね。解散!」
そう言って手をパンっと叩くと、そこには既に四人の姿はない。まるで、今まで話して居たのが嘘かの様に。
わたしの影として生きる四人はとても頼りになる。きっとわたしの不在の間のプラミールも大丈夫なはず。そう思って、わたしは自室に戻った。
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