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源三郎江戸日記(弟五部)8
呼吸を整えてそれでは参ろうかと言って、刀を抜きやはり中段に構えると、荒木も中段に構えたのです、何回か激しく切り結び、構えを下段にして下段から激しく峰で救い上げると、
二点一流の構えで、防ごうとしましたが下段から振りぬいた刀は、小太刀を跳ね飛ばし、荒木は慌てて後ろに飛びのき、こんどは太刀を、上段に構えたのです、又も間合いを詰めて、
荒木が振り下ろす直前に一歩前にでて一気に上段から振り切ると、源三郎は踏み込み懐に入ったので荒木の刀は空を切ったのです、源三郎は峰に持ち変えていたのでそのまま腹を払、
って後ろに駆け抜けると、荒木はう~と言って、膝を突いたのです、これまでで御座るなと言うと、何と間合いをずらすのではなく、前に踏み込むとは、さあ首をはねなされと言う、
ので、
その身はわしの物で御座る、さあ立ちなされなされと言うと、小太郎がくそ~と言って口笛を吹くと、木の上から10人の忍びが舞い降りて囲んだのです、たった10人でわしを倒せる、
はずはないわと言うと、右脇から飛猿達が襲い掛かり、乱闘になったのです、小太郎かかってこいと言うと、木に飛び乗り、次はこんな人数ではないぞ、と言うと消えたのです、
風間の者共、頭はお前達を捨てて逃げたぞそうそうに立ち去れというと、3人の死骸を残して飛びはねて森に消えたのです、怪我はないかと聞くと、かえでがありませぬ、森の奥には、
20人あまりが潜んでいましたと言うので、総勢30人と言う事かと言うと、小太郎は手強いとみてもっと人数を集めるでしょうとかえでが言ったのです、役人を呼んで来てくれと言っ、
たのです、
役人が着たので、わしは老中の村上源三郎じあ、ここに倒れているのは堀内一郎太じあ、遺骸を堀内道場に運んでくれ、後の者は無縁仏として埋葬しろと言つて、堀内道場に行き4人、
の師範代に果たし会いにて堀内一郎太殿はなくなられた、仇を討ちたい者あれば相手するぞと言うと、源三郎様、赤垣源蔵が一子源之新にござる、一郎太殿は剣客として立ち会われた、
のです、
遺恨などあるはずはありませぬと言うので、道場主は亡くなくなったこの道場はどおすると聞くと、名門堀内道場を潰すわけには参りませぬ、4人の師範代が尋常な勝負をして勝った、
ものが道場主となり続けたいと思いますと言うので、承知した後日それがし立会いの元に決めるとしよう、ところで源之新はどこぞに仕官しているのかと聞くと、越後長岡藩に仕官し、
ておりますと言うので、
そうかそなたの父上も冥土で喜んでいるじあろうというと、源三郎様はあの節父上達の手助けをして下された、との事を堀部安兵衛殿の奥方から聞きました、堀内道場の門弟であられ、
た源三郎様です、門人一同いつでもお味方しますと言うので、それは有難い、近々頼むかもしれぬ、腕を磨いておきなされ、遺骸は引き渡すので、ねんごろに弔ってくれ、せつ殿は預、
かっていると言うと、
文をくださり決して源三郎様に手向かわぬようにとの事でしたと言うので、そうであったか、今後の事はせつ殿とも相談しょうと言うと、道場を出て荒木をつれて深川に戻ったのです、
山形にご苦労であった、せつ殿に仔細を話してくれと言うと、承知と言うと店を出て行ったのです、かえでに見事な働きであつたな、仲間を呼び祝杯を上げよと言うと、ハイと返事し、
て店を出て行ったのです、
飛猿、才蔵もご苦労じゃったと25両渡し、これをみなで分けてくれ、今回の褒美じあと言うと、承知しましたと受取り、つれてくるまで才蔵と飲んでいますと席を離れたのです、荒木、
殿も一献と言うと、おみちが酌をしたので杯を重ねたのです、負けたそれがしが入っても良いので御座るかと言うので、構わぬといって、なぜ風間の加勢をと聞くと、ご老中は剣客な、
れば、
一度戦いたかっただけで御座る、小太郎が声をかけて来たので、尋常な勝負ならと引き受けもうした、剣客ならば一度は戦いたい相手に御座います、命がなくなっても惜しゆうは御座、
らぬと言うので、はてさて剣客とは困った者で御座るな、しかし、今後はわしの手の者として働きなされ、仕官が望みなら100石にて川越藩に召抱えるがと言うと、それがしは剣客な、
れば仕官はご遠慮いたしますと言うので、
ならば食客として月5両渡そうというと、有難いと言うので、住まいはと聞くと、日本橋人形町の膳兵衛長屋に御座ると言うので、妻子はと聞くと、おりもうさんと言うので、そうか、
毎月長屋に5両は届け申そう、これは今月分じあと渡すと、有難くと受取り、これで、飯の心配が要らなくなりもうすと喜んだのです、しかし、上様に危害を加えるなど知りませんで、
したと言うので、
事がうまくいけば風間の里を与える等と、空手形を館林の家老が言っているのじあよと言うと、小太郎は幻術を使います、立ち会うときには、目をみてはいけませぬと言うので、催眠、
術を使うのか、しかし、小田原落城で石田光成の配下になり、石田光成が関が原で負けて全滅したときいたがと言うと、少人数が生き残り、石田方にいたのでどこにも仕官できず、裏、
の家業で生き延びたそうですと言うので、
闇の殺し屋か、関が原から100年人数も相当増えているのじあろうというと、風間の里の所在はわかりませぬが相模の山奥とききます、帰農しているとの事ですが、いまでも修練は続け、
ているそうです、相当の人数はいると思いますと言うので、人が増えて暮らしも大変なんじあろうと言ったのです、わしが投げた手裏剣を手でつかんでおった、相当の腕の持ち主じあ、
なと言うと、
しかし殿の剣は変幻自在ですなと言うので、一郎太との立会いを見てわしが5寸間合いを外し、太刀の持つ場所をずらして届くようにしたのを確認したのじあろう、当然見られている、
ので、打ち込む時に半歩でなければならぬ、さすれば一呼吸ずれるわけだ、懐に飛び込むのは容易と言うわけじあよ、気がついた時は命がないがなと笑うと、あれが峰でなければ腹を、
切り裂かれている所でしたと言うので、
そなたの小太刀を跳ね除けて、太刀だけにするには、峰で払うしか方法はないので、あれでは腹を割く事はできぬが、後ろに回りこみ振りぬけば倒せるわけじあよ、わしの剣はとっさに、
相手の隙を突く実践剣で、道場剣ではないと言うと、一郎太も腹を蹴飛ばされて冷静さを失ったので御座るなと言うので、そうじあ、わしが間合いを必ず半歩取るのに気がつかなかった、
たのじあと言ったのです、
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