源三郎江戸日記(弟五部)

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源三郎江戸日記(弟五部)1 高鍋に来て3日目に玄海屋の番頭が、早飛脚便を届けたのでみると、将軍家継様が病で他界されたので、早急に戻るようにとの間部からの書状です、父上に話しをして、急ぎ帰る事にして、 玄海屋の船に乗り江戸に向ったのです、4日で江戸に着きすぐに城に上がると、病はなんでござったのか聞くと風疹にござるというので、それで発表はと聞くと、まだで御座ると言うので、 すぐに発表しなされ、 次の将軍が決まるまでは今の老中がやるしかないでありましょう、葬儀は間部殿が取仕切りなされと言うと、承知しましたと言うと、大名に非常登城のふれを出して、家継の死去の発表、 を行い、増上寺での葬儀がしめやかに行われて、遺骸は増上寺にほうむられたのです、老中が集まり間部が次期将軍ですが、血の濃さから言うと尾張継友様になりますがと言うと、井上、 が家継様が決められなかったので、 ご母堂様に決めて頂くしかないと言うと、女子は祭りごとには入れない仕来たりに御座れば老中が決めるしかないで御座ろうと間部が言って、話はまとまらないので、村上殿はと聞くの、 で候補は尾張様と紀州様です、水戸様とご母堂様の意見を聞くべきでしょうと言うと、一応聞く事になり散会したのです、御三家は江戸に出府して水面下の、駆け引きが激しくなったの、 です、 尾張藩の家老安藤対馬の守は、将軍後継には口を挟まずとの家康公の言いつけを守り、運動はひかえるべきだと言ったのですが、他の家老は納得せずに初めての外からの将軍擁立に他家、 から将軍になれば、永代に尾張藩から将軍を出す事は出来なくなるとして安藤抜きで工作をする事にしたのです、継友、宗春は候補になっている以上は静観すべしと言って、一切この事、 に関しては触れなかったのです、 間部がまず水戸の徳川綱條に聞くと、自分も将軍候補なので自分を推挙しても良いのかと言うので、かまいませぬと言うと、まあそれは出来ぬじあろう、内紛を避けるために朝廷から迎、 えてはどうだと言いだしたのです、血筋がいるのに何故で御座いますかと聞くと、我が藩は勤皇の志が強い藩である、徳川の世も100年経ったここらで、ミカドの血を引く王子をいれて、 おけば徳川政権は磐石になるではないかと言うので、 話はうけたまわましたと言うと、水戸藩上屋敷を辞去したのです、まったくとんでもない事を言い出すもんだと思い、ご母堂である天英院に聞くとそなたはだれが良いと思うときくので、 格式から言うても尾張継友様が良いと思いますがと言うと、聞くところによると継友の弟はうつけと聞く、継友殿が将軍につけば、尾張藩はどうするのじあと聞くと、御三家はそのまま、 にして宗春様が当主となられますと言うと、 それはならぬ、そのようなうつけが、藩主にならば世はみだれるに決まっておる、わらわは紀州吉宗殿が良いと思うと言ったのです、天英院は将軍家継は側室月光院の子供であり、この、 8年間、間部、新井には疎遠にさせられて、大奥での発言権を押さえつけられていたのです、権勢を取り戻す為に月光院と親しい絵島を追い落とす為に事件を仕組んだが、間部、新井に、 寛大な仕置きをされた恨みがあったので、 次期将軍には間部の息のかかつていない者を推挙し、大奥の権勢を取り戻そうとしたのです、間部は尾張継友に意見を聞くと候補であるので発言は控えると言ったので、紀伊吉宗に聞く、 とそれは尾張継友で良いのではないかと思うが、この場合は天英院様に決めていただくのが一番良いじあろう、なんと言うても次期将軍指名は将軍の専権事項じあから、家継様なき今は、 先代の正室である天英院様と言う事じあろうと言ったのです、 幕閣に持ち帰り老中を集めて話しをすると、井伊がやはりこの際老中が決めるべきでござろうと言うので、間部がそれがしは尾張継友様で良いと思うがと言うと、井伊が賛同して、井上、 がそれがしは紀州吉宗様が良いと思うと言うと、安部もそれがしも井上殿に賛成に御座ると言うので、間部が意見が分かれもうしたが、村上殿はどうで御座るかと聞くので、やはり先代、 の正室である、 天英院様と家継様のご母堂である月光院様に決めていただけば宜しいと思いますがと言うと、間部が老中の意見が分かれたので御座ればそれが良いでござろうお2人に決めてもらいます、 と言って散会したのです、間部と井伊が残り間部が村上殿はどっちと思われているのでござろうと言うと、どっちても良いので御座るよ、しかし間部殿と新井白石は天英院様の大奥の、 権勢を奪った過去がありますからな、 間部殿が押す反対の者を押すにきまっています、それによって大奥の権勢を取り戻す積もりで御座ろうと言うので、そうですなもう少し後なら久世を老中に出来たものをさすれば尾張公、 に決まり、われわれは尾張公に恩がうれたものを、紀州公にはわしは憎まれているので、紀州公が将軍になれば、お家断絶の可能性もありますからな、何としても月光院様には尾張公を、 押していただかなければと言うと、 時間がありませんぞと井伊が言ったのです、しかし、尾張継友公は正室に近衛公の息女との婚姻が決まっており、月光院も近衛公の養女として家宣公の側室になった経緯がありもし尾張、 継友公が将軍になれば、町娘出の自分をないがしろにする事は、目に見えているので、紀州公に肩入れしょうと思うていたのです、幸い絵島事件後は天英院とは、仲直りしており大奥の、 権勢は二分しているので、 この状態を続けたいと思うていたのです、間部が月光院に尾張公の推挙を頼むと、それは正室である天英院殿が決められるのが宜しかろうわらわが口出す事ではないと言うので、尾張藩、 を押してくだされば、天英院様は浜御殿にお移り頂、月光院様が大奥を取仕切る事ができますがと言うと、それを尾張公が約束なされたのかと聞くので、勿論出御座いますと嘘を言った、 のです、 月光院は暫く考えて、それがまことなら尾張公を推挙しましょうと言ったのです、御座所に戻り伊井に月光院様は尾張公を推挙してくださったと言うと、これで同じになりましたな後は、 どうしても、村上殿に尾張公を推挙してもらわねばなりませぬが、あの御仁には賂は通用しませんぞと言うと、紀州公は辞退されており、尾張公は静観しております、村上殿に尾張公を、 説得してもらいましょう、紀州公が辞退されている以上は尾張公にするしかあるまいと間部が言ったのです、
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