2.教師の不在

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 指定された廃倉庫の扉を開いた瞬間、武田は悪い予感が的中したことを知った。空間の真ん中でスチール製の椅子に縛り付けられた男は、不釣合いなほど能天気に武田に笑いかけた。 「あれ、来ちゃったんですか?」 「来たくはなかったけどな」  本音だった。  武田は注意深く縛られた芦田に近づいて行った。 「僕も君は来ないと思ってたんですけどね、実は」 「本来なら来るつもりはなかったんだが、あいにくあんたの生徒に会っちまったんだ」 「心配してました?」 「いや」  武田は直接的に言った。 「少なくとも、言葉にも態度にもそんなそぶりはなかったぜ」 「そうでしょうね」  芦田は思いの他あっさりと答えた。 「うちの学校には“彼”がいますから。うまくやってくれているでしょう」  芦田の言う“彼”が昼間出会ったあの少年のことだと、武田は直感的に理解していた。この男がそこまであの少年を信頼していることが少しばかり意外だった。  ともかくも芦田を拘束しているロープをほどこうとして、武田は不意に動きを止めた。 「動かないで」  銃口がまっすぐ武田の方に向けられている。倉庫の隅の暗がりから、その人物はおもむろに二人の元に歩み寄って来た。女だった。しかも、二人の母親ほどの年齢の。女はあからさまな憎悪を瞳に込め、武田を見ていた。 「やっぱりあんただったか」  武田は女に言った。全てを了解した口調だった。 「久し振りね。もう十五年になるかしら?」 「ああ、そのくらいだな」  銃を向けられているというのに、武田は平然と煙草を取り出して火をつけた。 「で? どうしてこいつを拉致なんかしたんだ? あんたの恨みの対象は、あくまでも俺の筈だろう?」 「そうよ。わたしの人生を滅茶苦茶にしたのは、あんただもの。……だから」  銃口がスッと芦田の方へ移動した。 「あんたの周りのもの、全て壊してやる。手始めに、あんたの目の前であんたの親しい人間を殺してやろうと思ったのよ」  撃鉄を起こす音。 「悪いが、そいつと俺はそんなに親しいわけじゃないぜ」 「それでもいいわ。あんたの恨まれる理由が一つ増えるだけじゃない」  手がわずかに震えているのが見て取れた。武田は眉一つ動かさない。女は芦田に眼を移した。 「悪いわね。こいつはこういう男なのよ。恨むなら、こんな男を友達に持ったことを恨みなさい」 「いえ、それはいいんですけどね」  目の前に銃口を突き付けられながら、芦田はいつも通りのマイペースさを保っていた。 「十五年前──と言ったら、武田さんもまだ子供でしょう。一体、過去にあなたと何があったって言うんです? そこらへん納得してからじゃないと、僕も死んでも死に切れませんよ」  武田は答えず、煙草をふかしている。 「……そうね。あなたには聞く権利があるわ」  女は憎々しげな視線を武田に放った。 「この武田春樹という男はね──十二歳の時に、わたしの夫を殺したのよ」
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