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暗黒街の天使
⒈
美しい男は毎夜女たちの口の端に上るのだ。
ホレーショー・コールドである。
金色の髪が、はらりと流れた――緑に染色した跡が残って――誰にも真似できない優雅さがある。発火炎で青年の顔が瞬いた。硝煙の臭いを嗅ぎつけたホレーショーの鼻がわずかに動いた。侮蔑の表情だ。
薬莢が床に落ち、チャリンと音を立てる。
生暖かい血液が飛散して、ホレーショーの目元に張り付いた。さながら薔薇の花弁のようだ。ゆえに暗黒街の天使のハンドガンは「血の薔薇を噴く」と囁かれている。
青年が瞳をほとんど動かすことなく周囲を一瞥する。この場に居合わせた人々が驚いた様子はない。
豪奢な館内や、それに相応しい、こまやかな細工をほどこされた調度品の数々は――どれもこれも昔の貴族の猿真似だ――物音ひとつ立てなかった。そこかしこに血が飛ぶだけだが……実に不快だ。
ホレーショーは目と鼻の先で息絶えた屍を蹴り倒し、自身に飛び散った返り血を擦り付けた。とりわけ丹念に磨かれた真新しい革靴に血痕とは許せない。
聴衆たちは頭の良い人々だった。いや、この一件について騒ぎ立てなかったのは彼らは皆知っていたからだ。そして火薬の燃焼や銃の動作、三つ目の銃弾が音速を超えるソニックウエーブの音を聞き取れた人物は一人としていなかった。
青年のまなざしが淑女たちに向けて笑みをつくる………薔薇色の微笑み……口角と片眉を上げた彼はニヒルを感じさせる男だった。
大勢の女がホレーショーに駆け寄りたいと思っていた。「怪我は?」「ああっ! 顔が汚れてっ」「帽子はここよ!」そんな声がいくつも重なったが、彼はすべて聞き流していた。祝いのクラッカーを鳴らし損ねた馬鹿もいないようだと確認する。
ホレーショーは落ちた薬莢と中折帽を拾い上げて目深に被った。足は出口に向かう。
彼には残された人々がどう動こうと関係がなかった。
正義感に駆られて警察に通報するならそれでいい。自分を救おうと、隠蔽するなり手を尽くすのもそれでいい。ただし今回は真っ向から「殺し」に出た。
奴らはどうするのだろう?
美貌の青年は残された人々を思うと笑いが込み上げてきた。銃弾の衝撃で揺れていた頭上のシャンデリアは彼らの心情そのものだったろう。
完璧に磨かれた革靴で石畳の道をいく。行き着く先はいつだって暗夜だった。
立ち並ぶ街灯が薄黄色に路地を照らす。
帽子と同色の灰色の外套に合わせて垂らす薄水色のマフラーに血痕がついていた。
一先ず硝煙反応に関する細工はしたが、彼は念の為、衣服には酸素系クリーナーを使おうと決めていた。そうすることで目に見える血痕はすべて取り除くことができる。たったの一回で。効果は抜群だ。
館内で手を洗い終えた彼はスーツの胸ポケットからハンカチを取り出し、銃を拭う。銃身に月明かりが差し込み、銀色に輝いた。
ホレーショーの足取りは軽かったが、機嫌がいいわけではなかった。青年はいつ・どんなときでも風のように颯爽と歩くのが特徴だった。軽快に、しかし静かに影が忍び寄るように歩いた。男のくせに長い髪が首筋で揺れる。
彼は老婦人の待つ部屋へと向かった。
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