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さつきを想いながら
パソコンキーボードから手を離して、矢城は息を吐いた。
『個人的な復讐ではない』
よくもまあ、ぬけぬけと『書いた』ものだ。
いままでタイピングした文章を眺める。
所詮、自分にはわかりっこない。安易に他人の小説を盗用する『作家』の感情など。
しかし、書かなくてはならなかった。
プロデビューなんかしたこともなく、ましてや書籍化もされておらず、ネットによくいる『作家』ーもし作家がいくらかのお金を生み出す物書きと定義するならば、この表現は厳密には違うのだろうーであっても。
書かなくてはいけなかった。
たとえ、決して読まれることがなくても。
この話を書き上げるために、矢城は20年近く書き続けてきたとさえ感じていた。
さつき……。
孤独だった文章書きの矢城の前に、宿命のように現れ数年前まで併走してくれた、ひとりの女性。
彼女、原田さつきはまさしく作家だった。
矢城は部屋の明かりを消すと、ふたたびパソコンにむかった。
暖色の部屋に少しでも白い光が混じると、それは明け方となったサインだ。安物のカーテンの布越しだからこそ伝わってくる朝の合図だ。
きっと一階にいる父と母は、まだ寝ているだろう。
「ちゃんと寝てよ」
母の忠告は約束でもなければ、警告でもない。
たとえ守らなくても、矢城は自分が追い出されることはないとわかりきっていた。
矢城には何もなかったのだ。
すぐに会える友達も。
包み込んでくれる恋人も。
そして、矢城のような壮年の人間にとっては当たり前のように持つ……仕事も。
それは、19歳で決まったことなのだろう。
矢城はタイピングを始めた。
メモ帳ーこれから書く話の断片的な走り書きが行書と草書をまぜたような崩した字で書かれてあるーを時折眺めて、文章を打つ。
さつき。
もはや矢城のいるこの場所では影としてでしか存在できないさつきに、矢城は何度問いかけただろう。
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