運命の結末

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 私は結果的に価値が上がった所持している本の数々を、馴染みの古本屋に売りに出した。店長さんは驚いていたけど、急に大金が必要になったと言うと納得してくれた。  私としても全く躊躇いはなかった。これで昇が救われるなら喜んで手放そうと思っていた。それにより、ようやく必要額である300万円を調達するに至ったのだった。  昇が借金を告白してから1週間が経った。  私と昇はいつもの喫茶店にいた。私達が座る窓際の席には、夏のさんさんと降り注ぐ太陽が容赦なく照りつけている。  話をしていても、彼はどこか上の空といった感じだった。その理由は分かっていた。そしてそれを彼からは切り出しづらいこともちゃんと分かっていた。 「はい、これ」  私はおもむろに300万円が入った分厚い茶封筒を鞄から取り出すと、彼に差し出すようにテーブルの上に置いた。  昇は驚いたようにそれを見た後、今度は顔を上げ、私を見やった。 「本当にいいの?」 「うん、あなたを信じてるから」  私がそう言うと、彼は笑顔になり、茶封筒に手を伸ばした。 「ありがとう、近いうちに絶対返すから。それじゃ」  彼は焦ったように茶封筒を持ってきていた鞄にしまうと、それを持ってそそくさと席を立った。  そのとき、私の背後にいた人物が、テーブルを両手で叩きつけ、勢いよく席を立った。私はその際に鳴った音に驚いて、思わず後ろを振り返った。  そこにはフードを目深にかぶった小柄な人物が、テーブルに手をついてやや前傾姿勢のまま、背を向けて立っていた。不意に店内が沈黙に包まれた。  その人物は店内中の視線を集めていることなどものともせず、足早にこちらへ向かってくる。  昇の前で止まったその人物は、荒い手つきでフードを取った。その正体は和美だった。彼女は鬼のような形相で彼を睨んでいた。人は表情によってここまでブサイクになってしまうものかというくらい、普段の美人な彼女とはかけ離れていた。  体格差では明らかに昇のほうが有利だが、彼は和美の勢いに気圧されていた。それは彼の口調にも如実に表れていた。 「あの……何か?」  昇は生唾を飲み込むと、喉から絞り出したような声で言った。 「あんた、嘘付いてるでしょ!」  和美は開口一番、彼にそう告げた。 「罪を自白するなら今のうちよ。さあ、どうするの!?」  彼女の詰問に対し、彼は苦虫を噛み潰したような顔で、額に汗をかき始めていた。 「おい、真理。こいつ何なんだよ。初めて会ったときもわけの分からないことばっかり言いやがって。お前からも何か言ってやってくれよ!」  私のほうを振り向き、和美を指差しながら私にそう訴える昇は、いつもの彼とは違う粗暴な雰囲気だった。 「ようやく本性を現したわね、『松田隆介』さん?」  和美は勝ち誇ったような表情で私の知らない名前を挙げた。しかし昇には覚えがあるらしく、ギクリとして彼女を見やった。 「探偵を使って調べさせたの。灰谷昇って偽名なんでしょ? 26歳って言うのも嘘で本当は23歳。あんたがこの前勤めてるって言ってた会社も半年前に退社してる。上司をぶん殴ってクビになったんですってね?」  昇は生唾を飲み込んで、和美の言葉に聞き入っている。 「しかもあなた、結婚してるのよね?」 「はあ、何言ってんだよてめえ。さっきからデタラメなことばっか言ってんじゃねえよ!」  和美は彼の言葉を無視し、肩から掛けていたショルダーバッグから一枚の写真を取り出して、彼の目の前に突きつけた。そしてそれをすぐに、座っている私の前にあるテーブルに力強く置いた。  その写真には、白いウエディングドレスを着た女性と、白いタキシードに身を包んだ昇が、満面の笑みを浮かべて写っていた。 「さらに子供がふたり」  そしてふたたび、バッグから写真を取り出すと彼に突きつけ、それをテーブルに置いた。  今度の写真には、先程の写真でウエディングドレスを着ていた女性と昇、そしてふたりの小さな男の子ふたりが、仲よさげにピクニックをしている光景が写っていた。 「おまけに元ヤン」  テーブルに置かれたその写真には、今時時代錯誤な、昔気質の暴走族の集合風景が写っていた。20人程がいる中で、ご丁寧にひとりだけ赤い丸印が付けてある人物がいた。  彼は金髪のオールバックという髪型に、白い特攻服といういでたちで大きな単車にまたがっていた。線のような細い眉毛にしわを寄せ、カメラに対してメンチを切っている。この男こそ紛れもなく今目の前にいる昇だった。そこには私が理想としていた彼の王子様像の面影は微塵もなかった。 「もちろんあんたの親が借金の連帯保証人になってるなんていうのも真っ赤な嘘。もうあんたの親にはウラ取ってあるんだから言い逃れしても無駄よ」  和美は犯人を取り調べる刑事のような鋭い視線を昇に向けた。 「さあ、これでもまだしらを切るつもり!?」  ふたたび、和美と昇が面と向かって対峙した。しかし今度の彼は、彼女に対してまったく物怖じしていなかった。 「言っておくけどこれ立派な詐欺罪だから。とりあえずさっさとお金、真理に返しなさいよ」  それからちょっと間、ふたりは至近距離でメンチを切り合っていた。昇には元ヤン仕込みの風格があるのは当然として、和美も決してそれに引けを取らない、謎の凄みがあった。  昇は自分の鞄から茶封筒を取り出すと、それを乱暴にテーブルへ叩きつけた。 「あーあ。せっかく苦労して、こんな本にしか興味ないブスにへーこらしたのに、結局タダ働きかよ。マジ最悪」  昇は私のほうを見て、吐き捨てるようにそう言った。私はまだよく状況が飲み込めず、ただ呆然として彼の言葉を聞いていた。 「お前さあ、俺みたいなイケメンが本気でお前みたいなブスに惚れるとでも思ってたわけ? もしかして小説みたいに、自分にもついにかっこいい王子様がやってきてくれたとでも思ってたの? 馬鹿じゃねえの!?」  昇はまるで別人のように下衆な笑顔を私に向けた。このときようやく私はこの男に騙されたのだと理解し、何かを言いかけたそのときだった。  それよりも早く和美の手が昇の肩を掴み、その力で無理矢理彼を自分のほうへ振り向かせた。そして彼女の天高く振り上げた右手が、彼の左頬に炸裂した。肌を弾く乾いた音が店内に響く。そのあまりの衝撃に、昇の身体は若干よろめいた。  さらに和美は昇の胸倉を掴むと、鼻と鼻が付きそうなくらいの至近距離に顔を近づけて、どすの効いた声で腹の底から叫んだ。 「もう二度と真理の前に面見せんじゃねえぞ、このクソ野郎!」  ふたりは息が詰まるような沈黙の中、そのまま数秒、互いの目を見詰め合っていた。程なくして、昇はふっと小さく笑った。 「負けたよ」  それだけ言うと、彼は自分の胸倉を掴んでいた和美の手をそっと払った。 「あんた、よっぽどそいつのこと好きなんだな」  和美の手の形に頬を真っ赤に染めた昇は、どこか満足げな表情をしていた。  それから彼は、店の出口へ向かってゆっくりと歩き出した。そして数歩進んだところで少しだけ振り返り、捨て台詞のように最後に一言こう告げた。 「いい啖呵だったぜ」  そして彼は黙って喫茶店を後にしたのだった。  和美はそれを見届けると、全身から力が抜けたように、ペタンと床に座り込んでしまった。 「大丈夫、和美」  私は慌てて席を立ち、彼女の傍らにしゃがみ込んだ。私のほうを見た彼女は泣いていた。先程までの威勢が嘘のように号泣していた。 「怖かった、私、怖かったの……」  私にしがみついてきた和美は、子供のように震えていた。彼女は自分の限界を超えて、私を守ることに必死になってくれていたのだ。私は彼女の身体をそっと抱き、改めてその存在の大切さを実感したのだった。
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