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図書館の恋
私は気持ちが落ち着いた和美を連れて、あの図書館のベンチへ来ていた。あの店にいる人達の視線に晒されていては、ゆっくり彼女と話せないと思ったからだ。
「さっきはありがとう、和美」
私は隣に座っている彼女のほうではなく、視線を正面に向けたまま言った。まだ彼女と向き合って話すのには照れがあった。
「実は私、さっきのことあまりよく覚えてないの。ただ真理を守らなきゃってことで頭がいっぱいで……」
どうやら照れがあるのは和美も同じらしかった。彼女もまた私ではなく、正面を見据えたまましゃべっているようだ。
「私、あんたがいなかったら、また性懲りもなく男に騙されて、お金取られてたところだった」
和美は黙ったままだった。
「でも今回は絶対に本物だと思ってた。まあこれまでの恋もそう思ってたんだけど、今回こそは間違いなく運命の相手に出会えたって思ってたんだ」
私は独り言のように言葉を続けた。
「でもやっぱり違った。図書館の恋とか言って勝手にひとりで盛り上がって……本当、馬鹿みたい」
私は今になってようやく、好きだった人に裏切られた喪失感に気付いた。機械的に瞳に涙が溜まっていく。私の未来に対する見通しを暗示しているかのように、目の前の視界は歪んでいく。
「きっと私には、私を本気で好きになってくれる人なんて一生現れないんだろうね」
私は諦めたような感じでそう言った。このときの私は本気でそう思っていた。
「……そんなことないでしょ?」
和美がぼそっと言った。私は彼女のほうを見やった。
「真理を好きになってくれる人はいるよ」
彼女は私を励まそうとしてくれていたのだろう。でも私は、その言葉を肯定的に受け取れるほどの心の余裕がなかった。そんなことは誰にも分からないのに、なぜ彼女はそう言い切れるのか。彼女の美しい横顔を見ていると、私は和美とは違うという思いがこみ上げてきた。私は彼女のような美人じゃない。私の心を弄ぶようなことを言うのはもう止めて欲しいと思った。
「そんな無責任なこと言わないでよ……」
私が涙で震える声を振り絞って言うと、和美はようやくこちらを見やった。
「何であんたにそんなこと分かるのよ」
「分かるよ」
和美は真っ直ぐに私を見据えて、またもきっぱりとそう言い切った。何の根拠もないのにこんな堂々とした態度を取っている彼女に、私は苛立ちを覚えた。
「いい加減なこと言わないでよ! 何の証拠もないくせに!」
「だってここにいるじゃない! 世界で一番あんたを好きな人が!」
彼女がそう告げた瞬間、私の時間が止まった。そのとき、瞳に溜まっていた涙が一筋、頬を流れ落ちた。
「私、ずっと真理のこと好きだった。中学生のときからずっと……ずっとずっとずっとずっとずっと……」
ずっとを呪文のように繰り返す和美の大きな瞳にも、急速に涙が溜まりつつあった。
「でもそんなこと言ったら真理に嫌われるかもしれない。だから私は友達のままでいい、それで十分だってずっと自分に言い聞かせてきた」
十年以上一緒にいたのに全く気付かなかった和美の知られざる思いを、私はただ黙って聞いていた。
「あんたが上京してから、私がどれだけ落ち込んだか知ってる? あんたが大学で彼氏ができたって報告してきたとき、私がどれだけ泣いたか知ってる? もうあんたに対する叶わない思いなんか捨てなきゃって何度も思った」
和美が抱いていた積年の想いが、言葉となって、そして涙となってあふれ出ていた。
「ようやく捨てかけたときに、どうして帰ってくるのよ。しかもあんなにボロボロになって……。そんなの……放っておけるわけないじゃない……」
彼女の両の瞳からは決壊したダムのように、大粒の涙が止め処なく流れ落ちた。
「あの男と3人で会ったときも、どうしてあんな態度取っちゃったのか、自分でも分からなかった。ただこの目の前にいる男が、真理の世界で一番好きな人なんだって思ったら、自分の中に何かどす黒い感情がこみ上げてきて、どうすることもできなかった」
汚らわしい自分を見て欲しくないかのように、彼女は私から目を逸らした。
「私があの男のことを調べようと思ったのも、半分は真理のためだったけど、もう半分は、こんな恋愛壊れちゃえばいいのにって思ってたからなの。そうすれば真理はまた私のところへ帰ってきてくれるから……。だから私、真理が思ってるほどきれいな人間なんかじゃないの」
ひとしきりしゃべり終えた和美は、刹那の沈黙の後、大きくひとつため息をついた。
「言っちゃった……」
和美は涙で目を真っ赤にしながら、すっきりした表情で空を見上げていた。
「じゃあ、私行くね」
元気よく立ち上がった和美は、眼下の私をしっかりと見据えてそう言うと、大きな歩幅で歩き出した。
私は去って行く彼女を黙って見ていた。呼び止めたところで、何と言っていいのか分からなかった。
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