運命の出会い

1/5
77人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ

運命の出会い

 夕暮れと夜が交錯するような空の午後6時すぎ。  仕事を終えた私は、例の図書館へやって来た。敷地内には、和美と作品の魅力について語り合った思い出のベンチがそのまま置かれていた。  木製で温かみのあるふたり掛けのベンチ。確か当時はなかった、肘掛の金属部分にできた錆が、確実に経過している月日の流れを物語っていた。ふたりの思い出が未だに形として残っているような気がして、少し嬉しい気分になった。  私は入り口の自動ドアを開けて、館内に入った。  貸し出し受付のカウンターに和美が座っていた。彼女は入り口に立つ私の姿を見つけると、他者に気付かれないように胸元で小さく手を振った。私は彼女のもとへ向かった。  「7時で上がりだからもうちょっと待ってて」  和美は口元に手を当て、小声で言った。私も分かったと小声で返事をすると、彼女の業務の邪魔にならないように、館内を見て回ることにした。  閉館時間も間近とあってか、来館者の数はまばらだった。やはり私が高校生だった当時とは、書棚や座席の配置が若干変わっているような気がする。あれからもう8年も経っているのだからそれも当然か。  私は記憶を頼りに、恋愛小説が集められてある棚へ向かった。  私は小説の中でも特に恋愛小説が大好きだった。本の中の主人公は、いつも私をめくるめく恋の世界へ誘ってくれた。私もいつかこんな素敵な恋愛をしたいと思春期の私はいつも夢見ていたものだった。  ところが現実はそう甘くはなかった。高校の頃は、彼氏とは無縁の青春時代。大学の頃に初めてできた彼氏には、ほかに付き合っている女が何人もいて、私はその序列の最下位だった。社会人になってから付き合った男には、お金を騙し取られて……。  そのたびに傷ついて、辛い思いをして、もう二度と恋なんてしないって何度も思ったはずなのに。傷が癒えると、私はそのときのことなんかまるで忘れて、また新しい恋を探してしまう。それが人間の本能であるかのように。  今の私はまさにそんな時期だった。また恋がしたい。そして今度こそ、その人と幸せになりたい。そんな思いでいた。  私は昔とは勝手が違う館内をさまよい、ようやく恋愛小説の書棚を見つけた。そして何気なく『垣内美亜』という作家の作品を探し始めた。  彼女は私が学生だった当時、特に好きだった作家だ。といっても一般的にはほぼ無名に等しく、あれから8年が経った現在でも、開架として彼女の作品が書棚に置いてあるとは思っていなかった。  私の予想とは裏腹に、垣内美亜の作品はあった。たった一冊だけ、彼女の本の中でも特に一番好きだった作品が。心の中に、当時何度も読み返したあの作品の名場面が鮮やかに蘇った。  それは明治時代を舞台とした、妻子持ちの軍人と未亡人女流作家の悲恋を描いた作品だった。最終的にふたりは海外へ駆け落ちする約束をするのだが、待ち合わせ場所である馴染みの喫茶店へ向かう直前に、その軍人は敵対勢力の手によって殺されてしまう。約束を破られたと勘違いした女流作家は、決して読まれることはないと知りながら、喫茶店のマスターに軍人宛の手紙を託し、自ら命を絶ってしまう。そしてふたりはあの世でようやく結ばれるのだった、という物語だ。  私は今でもその手紙の文言を一言一句言えるほど、この作品が好きだった。懐かしさのあまり、思わずその本に手を伸ばした。まさに本に手が触れようかというその瞬間、それよりも先に、隣から伸びてきた別の手に私の手が触れてしまった。  本探しに夢中になっていた私は不測の事態に驚き、はっとして手の主を見やる。  そのとき、私の身体に稲妻が駆け抜けた。  その人は、若手俳優がそのままテレビから飛び出したかのような目を見張るほどのイケメンだった。清潔感のある陶器のような白い肌。美しい光沢を放つさらさらの黒髪。見る者を引き込む大きくて澄んだ瞳。すっと通った高い鼻筋。ふっくらとした色気のある唇。適度に鍛え上げられた高身長な肉体。まるで私の憧れをそのまま具現化したような男性だった。  人形のように固まったまま、黙って彼を見ているだけの私に、彼はにっこりと微笑んだ。 「どうぞ」  そう言って彼は私に、垣内美亜の本を手渡してきた。そこでようやく私は我にかえり、激しくかぶりを振った。 「そ、そんな。あなたこそどうぞ」 「いいえ、レディーファーストですから」  彼はおどけたようにそう言うと、戸惑っている私の手を掴み、その手で私に本を握らせた。不意に感じた彼の手のぬくもりに、私の胸は熱く締め付けられた。  そして彼は爽やかな微笑を残し、この場を去って行った。  私は彼との突然の出会いに、ただ本を持ったまま呆然とその場に立ち尽くすのだった。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!