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「ただいま~」
私は実家の玄関のドアを開けると、歌のようにメロディーをつけて帰宅の挨拶をした。
「は? 姉貴、今の言いかた超キモいんですけど」
たまたま玄関のそばにあるトイレに入ろうとしていた、高校3年生である弟の一樹が、有頂天の私に釘をさすように言った。しかし今の私にはそんな彼の悪態など、まったく気にならなかった。
私は鼻歌を歌いながら一樹の前を通過し、ダイニングへ向かった。
「おかえり。もうすぐご飯だから」
台所では、母がフライパンを持って炒め物をしていた。
「何、何かいいことあったの?」
母は私の浮かれた様子を見て、ニヤニヤしながら尋ねる。私は明らかに含みのある「別に」という言葉で返事をすると、自室へ向かった。
私は部屋に入るとベッドに座り、鞄からスマホを取り出した。もしかしたらすでに、先ほど連絡先を交換した灰谷さんから、連絡が来ているかもしれない。祈るような思いで、私はスマホのホームボタンを押した。
すると、ホーム画面のLINEのアイコンの右上に『1』の文字があった。私はドキドキしながら、そのメッセージの主を確認した。
なんとそれは念願の、灰谷さんからのものだった。
『先程は連絡先を交換していただき、ありがとうございました。断られるんじゃないかと思ってドキドキしていました』
そんなことをするはずがないのに。私は彼の繊細な一面を目の当たりにし、ますます好意を抱いてしまうのだった。
このメッセージが送られてきたのは今から約10分前のことだった。私は早く返事をしなければと思った。脳をフル回転して、彼に嫌われないような文言を考えた。
『こちらこそ、ありがとうございました。それと、さっきはすみません。私、本のこととなると夢中になって話しちゃう癖があるんです』
私はこんなメッセージを送った。そしてそれから程なくして、すぐに彼からの返事が来た。
『気にしないでください。高橋さんの話、面白かったです。もっと聞いていたかったくらい』
私は天にも昇る心地だった。私にとって理想的な男性が、私の好きなものを好きでいてくれている。私が幸福に浸っていると、灰谷さんはさらなるメッセージを送ってきた。
『近いうちに会えませんか? 今度は図書館以外の場所で。スケジュールを確認したら、こっちからまた連絡します』
まさか彼のほうからまた会いたいと言ってくれるなんて。彼も私に好意を抱いてくれているのだ。私はこの喜びを、大声という形で表現したい気分だった。そのとき部屋の外から、私より先に別の人の大声が聞こえた。
「ご飯だよ」
ダイニングから聞こえた母の声に、私は元気よく返事をし、軽い足取りで食卓へ向かったのだった。
今日の夕食はコロッケだった。気分がいいと食欲も増す。食卓についた私は、母の作った料理を次々と口に運んでいた。
「ねえ、どんないいことがあったのか教えてよ」
母が興味津々といった様子で私に尋ねてきた。私が灰谷さんとのことを打ち明けようか迷っていると、一樹が間髪入れず代わりに答えた。
「どうせ面白い掘り出し物の本を見つけたとかそういうことだろ」
「違います」
「じゃあ、もうすぐ好きな作家のサイン会があるとか」
「違う」
「じゃあ、古本屋に持って行った本が意外と高値で売れたとか」
「何で本のことばっかりなのよ!」
「だって姉貴の幸せは本にしかないから」
今の言葉は、幸せの絶頂にいる私にとっても、若干刺さるものがあった。
「じゃあいいわよ。そんなに知りたいなら教えてあげる」
こうして私は満を辞して、灰谷さんとの運命的な出会いを発表した。すると家族は一様に訝しげな反応を示すのだった。
「姉貴、男運なさすぎていよいよ小説と現実の区別が付かなくなったんじゃねえの?」
「そんなことないわよ。ちゃんと連絡先も交換したんだから」
「でもそんなイケメンがわざわざ好き好んで姉貴なんか選ぶかね。和美姉ちゃんなら分かるけどさ」
「そう言われてみればそうよね。そこには和美ちゃんもいたんでしょ? だったら普通の男なら和美ちゃんを選ぶわよね」
「その男、和美姉ちゃんに振られたから仕方なく姉貴にいったんじゃねえの?」
彼らは言いたい放題言った挙句、ゲラゲラと笑い出した。人の幸せを茶化すとは、我ながらなんという家族なのだろう。
「見てなさいよ、近々家にも恋人として連れてきてビックリさせてやるから!」
「どうでもいいけど、もう騙されないように気を付けろよ。あのときの姉貴、マジで怖かったからさ」
私はこの薄情な家族を見返してやるためにも、灰谷さんとの仲を成就させようという想いが一層強固なものになったのだった。
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