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「何見ようか」
目的のシネコンに到着した私達は、現在上映中の作品のポスターが集められている一角でそれを思案中だった。
私は『時を越える』という映画がずっと気になっていた。この映画は、原作である同名の恋愛小説を映像化したものだ。その内容は、江戸時代、運命によって引き裂かれた男女の魂が、来世である現代で結ばれる、という言葉にしてみればさも陳腐なものだった。そのせいなのかは知らないが、客の入りも決してよくはないらしい。それでも原作の小説を読んだことのある私は、打ち切りになる前に一度は見てみたいと思っていたのだ。
でも灰谷さんがこんな不人気な恋愛映画を見たいとは思えなかった。私は彼の見たがっている映画に同調したほうがいいのではないかと思案していた。
「じゃあ、目をつぶってお互いに見たいと思ってる映画を指差してみようか」
彼からの意外な提案に、私はまたも戸惑った。
「私はいいから、灰谷さんの見たい映画で……」
「いいから」
そう言って彼は、私に催促するかのように、わざとらしく目を強くぎゅっとつぶった。目じりにできたしわがまたかわいい。
「つぶった?」
その顔のまま、彼は私に尋ねた。私も慌てて目をつぶる。
「いい、目は開けちゃだめだよ。いっせえのーで」
彼の掛け声と同時に、私は考える間もなく、時を越えるのポスターを指差してしまった。
「指差した? じゃあ一緒に目を開けるよ」
私はゆっくりと目を開けた。すると最初に、彼も閉じていた目を開ける瞬間が目に入った。そして次に見たのは、彼が私と同じ、時を越えるのポスターを指差している光景だった。
「え、高橋さんも本当にこの映画見たいの?」
私より先に、彼が驚いて言った。
「だってこの映画、そんなに有名じゃないし、どうせ合わないだろうなと思って指差したのに」
彼は私が言いたかったことを全て先に言ってくれたのだった。
「ぼく達って本当に気が合うんだね」
満面の笑顔で興奮気味にそう言う彼は、本当に嬉しそうだった。もちろん私はそれ以上に嬉しかったわけだが。
「じゃあさ、悪いけどチケット買っておいてくれる? ぼくは飲み物とか買ってくるから。ああ、飲み物何がいい?」
私がオレンジジュースと告げると、彼は小走りに売店のカウンターへ駆けて行ったのだった。
ふたり分のチケットを購入した私は、自動発券機のそばにある長椅子に腰掛け、灰谷さんが戻ってくるのを待った。
「買ってきたよ」
戻ってきた彼は、両手で飲み物のカップを持ち、胸元にはポップコーンが入った大きな紙製の器を抱えていた。私は急いで自分の分の飲み物を受け取った。
「食べるものはポップコーンでよかったよね?」
彼の問いに、私が「うん」と返事をすると
「一つしか買わなかったから、ふたりで分けて食べようね」
と、続けて言った。
私達は映画が上映される7番スクリーンへ向かった。
不人気な映画だけあって、上映開始直前だというのにスクリーン内はガラガラだった。
私達は一番映画が見やすそうだと思ってチケットを買った、中央からやや後ろ辺りの、通路と隣接した席へ並んで腰を下ろした。そして灰谷さんは、ポップコーンをふたりの座席の間にあるホルダーへ置いた。
「楽しみだね」
彼は私に微笑みかけた。私は映画よりも、好きな人としばらく並んで座っていられることのほうが楽しみだった。
程なくして、上映開始を告げるブザーが鳴った。場内の照明が落ちる。
映画が始まっても、しばらくは気になってちらちらと彼のほうを見てしまい、内容に集中できなかった。一方彼はそんな素振りも見せず、真剣に映画に見入っている様子だった。
それでも映画が中盤に入り、徐々に話が盛り上がってくると、私も次第にスクリーンの世界に引き込まれていった。
そしてクライマックスでは、私は思わずその感動の展開に涙を流してしまっていた。ポップコーンを手に取ろうと、スクリーンに釘付けのまま、無意識のうちに器を見ずに手を伸ばす。
すると隣から同じく器に手を伸ばしていた灰谷さんの手とぶつかってしまった。
驚いて反射的に彼のほうを見やった。彼の顔がにじんで見える。そのとき私は自分が泣いていることに改めて気付いたのだった。
恥ずかしいところを見られてしまった。私は彼から目を逸らし、そのまま正面のスクリーンも通過し、反対側を向いた。
顔から火が出る思いでいると、私の膝もとに、折りたたまれた水色のハンカチが差し出されているのに気が付いた。
ふたたび彼の方を振り向くと、彼は私ではなくスクリーンを見ていた。涙を流す私のほうを見ないようにして、彼は自分のハンカチを差し出してくれていたのだ。
私は黙ってそのハンカチを受け取ると、そっと涙を拭いた。思いがけなく彼の優しさを垣間見ることができたのだった。
映画の上映が終わった。スクリーン内には照明が点り、ふたたび上映前の明るさを取り戻した。まばらだった客も皆、室外へ出て行ってしまい、ふたりだけが取り残された。
「面白かったね」
彼は大きく伸びをすると、こちらを振り向き、笑顔で言った。私はまだ先程の照れがあり、彼のほうを向けなかった。
「あの、このハンカチ、ちゃんと洗って返すね。汚しちゃったから」
「いいよ、そのままで」
「でも……」
「いいから」
そう言うと彼は、半ば強引に私の手からハンカチを取り返すと、勢いよく席から立ち上がり、私に背を向けてこう続けた。
「だって、きみの涙はきれいだから、洗う必要なんてないよ」
彼は無造作にズボンのポケットにハンカチを入れて、出口へ向かって早足で階段を上り始めた。
私は彼の思いやりに満ちた言葉に、胸の鼓動が高鳴るのを感じていた。
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