***

3/6
前へ
/9ページ
次へ
 ゆっくりと起き上がった妻は、なだめるように青年の近くに歩み寄る。  衣を口にあてた立ち姿は、地獄に映える妖艶を放っていた。  青年は、刀の(さや)で近くの柱を殴った。  (もろ)くなった木材はいとも簡単に砕け、将棋倒しのように天井が崩れ落ちる。  青年は咄嗟(とっさ)に妻をかばった。  先ほどの伝令は天井の下敷きとなり、まもなく息絶えた。  青年は妻に覆いかぶさるように四つん這いの体勢で、背中は熱を持った天井の破片を受け止めていた。  妻は青年の目から視線を(そら)らすと、青年の腕の間をすり抜け、ゆらりと立ち上がる。 「綺麗な月」  天井が崩れたおかげで(あら)わになった夜空を見上げながら、妻は呟いた。  周囲に変人がられる青年にとっても、妻は日頃から何を考えているか分からない奇妙な存在だった。綺麗だと形容した月も、晴れ晴れとした満月ではなく、雲の隙間で見え隠れしているものである。  妻のそこが魅力的でもあったのだが、絶望の(ふち)に立つ青年の目に映る後ろ姿は、死を覚悟し、(わず)かだった人生を惜しんでいるようだった。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加