玉鹿石(ぎょっかせき)

2/3
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「でね。この部屋の、道路を挟んで向側の この、小料理屋『千種』さんが、太宰の仕事部屋でね」 歩いて数歩。 この距離に、あの美しい山崎富栄さんと、 あの天才がいたんだ。 「二人のご遺体が発見された後、ここに運ばれて、 検死場所にもなったんですよ。 今、お嬢さんが立っているところが、 霊柩車が止まっていたところですね」 わたしは、また後ずさる。 その時、ざーっと、激しく雨が降ってきた。 「ん」 と、奏が傘に入れてくれた。 小学校以来かな。こんなに近くにいられるの。 わたしは、 太宰さんと山崎富栄さんのことを考えながら 平行して、奏のことを想った。 苦しい、苦しい恋をしている奏。 それを、ずっと見ているわたし。 奏は、わたしのことなんて、気づいてないけれど。 奏は、自分の恋を隠さない、 隠さない。 まっすぐな、奏だから。 怖いくらいに。 わたしは、太宰と山崎富栄さんを、 奏の苦しい恋に重ねた。 「じゃあ、このまま、二人が入水した場所まで歩きましょうか」 ガイドさんが、先頭に立つ。 わたしは、色んな意味で、どきどきしながら、 奏と歩いた。 なんの変哲もない、ビニール傘が、 (男の子らしくって、いいな) と、すとん、と思った。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!