4、森家の傘

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調べた一がボールペンで『傘』と書いた。 逃げるように離れていた大が、空気が変わったことに気づいて私の膝に登ってくる。 「うん、それが傘という漢字だな。だがな、森家の傘はちょっと違う」 そう言うとボールペンを取って、一の書いた文字のひとやね部分の左側を上に伸ばす。ひとやねが『人』という字になる。 「これが森家の傘だ。この一番上の大きな人がお父さんだ。そしてこれがお母さん」 ボールペンの先で中の小さな『人』の文字を指す。 「これが一、これが大。お父さんがおまえたちを守る。どんなことからもな」 浩さんは、そう言ってニコリと笑う。 なんだかちょっと照れくさくて嬉しい。 でも・・・。 「ひとり多い」 黙ってペン先を見ていた一がそう言って顔を上げる。 笑顔のまま夫は頷いた。 「そうだ、ひとり多いな」 子供たちを寝かせてお風呂から上がると、夫はベランダにいた。 「美代子」 いきなり呼ばれて少し緊張する。 「雨、あがったの?」 言いながら近づいた。 「ああ」 夜の空気はまだ湿っている。でも雨雲の代わりに大きな月。 「月出てる。明日は晴れるね」 何かを誤魔化すように言った。 「ストロベリームーンだ」 月を見ながら、浩さんはビールを飲む。 「苺?赤くないけど」 「そういう説もあるな、元々はアメリカの原住民オジブワ族が、苺の収穫時期に見える満月をそう呼んだ。その満月を大切な人と見れば幸せになれるとな」 相変わらずいろいろ知ってるね・・・ 「・・知ってたの?」 違うことを聞いてみる。 「当然だ」 夫は答えて振り返った。 「美代子、俺は産んでほしい。年齢的にも、今の状況からも大変なのはわかっている。それでも俺は産んでほしい」 その一言で、迷いが消えて行くのがわかった。お腹に手を当てて迷った自分を謝っていた。 「次に打診があれば、幹部コースに入ることを受けようと思う。今のように無茶苦茶な働き方はなくなるだろう」 えっ? 「子供のためじゃない。後進に道を譲るってやつだ。最前線からは引く」 「そんなのだめ!」 咄嗟に言ってしまった。創を求めて、創に拘り続けている浩さんのことが大好きだった。憧れて、尊敬して。 夫は困ったように、でも嬉しそうに微笑んでから、 「申し訳ないが創ることを完全に止めることはできない。俺にはそれしかない」 そう言って頭を下げる。 「美代子、産んでくれ。我儘なのはわかっている。でもあいつらも成長している。俺も手伝う」 ごめんなさいという思いと嬉しさが、湿った空気と一緒に全身を包んだ。心が潤っていく。 「『苺』だ、美代子。一も大も俺の子供の頃にそっくりだ。おまえの子供の頃が見たい『苺』だ。その子の名前な」 ・・苺。 「男の子かもしれないじゃない」 そう応えて、お腹にそっと手を置いた。 苺、ごめんね。迷ったお母さんを許して。 肩を引き寄せて 「おまえは最高だ」 そう言ってくれた浩さんの顔が、嬉しくて恥ずかしくてちゃんと見れない。 ときめきを隠して見上げた空にはストロベリームーン。 『苺』の収穫を祝う満月。 〈fin〉
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