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第一話(7)
「聖螺がこの店に来たのは、一年くらい前でした。僕はまだ見習いで、マスターの陰で瓶を磨いたり、オーディオの操作をしたりしていました。そこへ僕の中学時代の恩師が、女の子を伴って現れたんです。それが、聖螺でした」
佑はカウンターの方に目をやりながら言った。右腕の痺れは微かな心地よさを含む痛みへと変わっていた。わたしの知らない過去に、わたしの内なる聖螺が反応しているのだ。
「当時、彼女は家庭に居場所をなくしていて、友達の家を泊まり歩いていました。その晩も街をさまよっていたみたいで、たまたま、姿を見かけた担任がここに連れてきたんです」
「そうだったんですか……一年前って言うと、ちょうどバンドを結成した頃ですね」
「ええ。あの時、彼女は父親と折り合いが悪くなっていたんです。家にはいたくない、でも別居中のお母さんには恋人がいて、そちらにも行きたくない……、そんな状況でした」
わたしは、事務所で聖螺と初めて顔を合わせた時の事を思いおこした。お守りのようにギターを抱きしめ、前髪の間から挑むようなまなざしを向けている少女。それが第一印象だった。一つ年上の彼女は、わたしと同様にしばらく学校に行っていないようだった。
「それからしばらくして、昼間のカフェで働いていたら、たまたま彼女が一人で来たんです。それで中学の後輩ということもあって、なんとなく話をするようになったんです。最初は僕がジャズの話なんかを一方的にしていたんですが、そのうち、実は芸能活動をしているって話を聞かせてくれるようになって……ライブを観に行くようになったんです」
わたしは、佑の話に夢中で聞き入った。……ここにも、わたしの知らない聖螺がいた。わたしたちは互いに、プライベートにはあまり踏み込まずにいた。話題と言えば音楽のこと、仕事のことがメインだった。どこか孤独な子たちを集めたバンド、そんな空気を互いに感じ取っていたのかもしれない。
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