序章(2)

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序章(2)

 わたしの本拠地とも言えるライブハウス。それが今、炎と煙に包まれている。  二十坪ほどのフロアが、地獄絵図と化していた。炎に嘗め尽くされた壁と天井は真っ黒に焦げ、照明や機材の破片がいたるところに散乱していた。折り重なって倒れている無数の人影は、ライブを見に来て爆発に巻き込まれた観客だろう。ここから見る限り、生きているか死んでいるか、判然としない。微動だにしないその姿に、わたしは戦慄を覚えた。  状況を理解した途端、身体の奥に生への強い渇望が生じた。わたしは仰向けになるべく、再び、右腕に思い切って力を込めた。体がごろりと転がった瞬間、ひじのあたりにドリルを突っ込まれたような激痛が走った。 「ああああっ」  喉から苦痛の呻きが迸った。なんだ、この痛みは?わたしは顔を捻じ曲げ、右腕を見た。次の瞬間、わたしはまた悲鳴を上げていた。先ほどとは違う、恐怖の悲鳴だった。  右腕の、ひじから先が消え失せていた。ぼろぼろになったシャツの袖に赤黒い筋肉の繊維が絡みついていた。気を失わずにいられるのが不思議なほど無残な眺めだった。視線を脚の方に移すと、そこにも恐ろしい眺めがあった。右足の大腿部からふくらはぎにかけての肉がごっそりと削り取られ、ぎざぎざに引きちぎられた筋肉と脂肪の間から白い骨が覗いていた。 「なんなのっ!いやっ!」  わたしはがたがたと震えた。左手で顔を覆うと、指先に触れた皮膚が手の動きに沿ってずるりとはがれるのがわかった。目の前が絶望で真っ暗になった。死ぬ、きっとわたしは、死ぬ。たまたま目覚めただけで、すぐあの焼け焦げた人たちと同じになるんだ。わたしは意識が戻った事を呪いたくなった。  これが夢なら、なんというひどい悪夢だろう。こんな目に遭うようなことを、わたしは、あそこに転がっている人たちはしたのだろうか。  焼け焦げた天井の照明を眺めているうちに、眼尻から涙があふれ出した。こんな形でしか生きていることを実感できないことが悔しかった。もうすぐ死ぬというのに、頭に浮かんでくるのは、リハーサルでギターを倒したことや、歯医者に行き忘れたというような、くだらないことばかりだった。  もういい。たった十六年の人生に、甦るような思い出なんてない。この涙はくだらない自分のエンディングへの、憐みの涙だ。さよなら、能咲瑞夏。    どうせならとことん燃え尽きて、身元すらわからない状態で見つかればいい。   わたしは静かに目を閉じようとした。その時だった。耳の奥が奇妙な音をとらえた。  ずる、ずる、という何かを引きずるような音。そして声が聞こえた。
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