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六
永遠といわれる時間があるのだったら、それはもはや時間ではない。
一体、どのくらいの時間が流れたのか。冬の時は過ぎるのが速い。曇り空が太陽を隠しているために、僕に時間を教えてくれるものは時計以外には皆無だ。辺りはすでに暗く、闇を落とそうとしている。
斎はまだ漠然としていた。心はこの世になく、ただ美しさだけを置き去りにしていた。
時計を見るために、斎から手を放した。十八時四分。暗いはずだ。
再び斎に視線を戻すと、斎もこちらを見ていた。
「もう燈篭が灯ってる頃だから、行こうか」
「ああ」
短く返事をして、僕は斎の手を取ろうとした。しかし、斎はそれを避けて顔を伏せた。
「…ごめん」
これ以上、何を言っても無駄だろう。経験上よくわかっている。無理に求めれば、必ず喧嘩になる。
「…わかった」
斎は僕が承諾すると、顔を上げて微笑んだ。仕方なく、僕は先に歩き出した。
来た道を戻り、表参道に辿り着く。大勢の人が行き交い、道端に灯る燈篭の光が遮断されては現れる。星が瞬くように。僕たちも人の流れに従い、春日大社の本殿へと歩き出す。
幻想という言葉がよく理解できた。騒がしい人々ですら朧げな現実だ。本殿に近づくにつれて、燈篭の数は多くなり、人々を不確かに浮き上がらせる。無数の灯りは、僕たちを導いているようにも思えるし、知らないどこかへ彷徨わせようとしているようにも思えた。
綺麗なものはいつでも境界線上にあり、人々の心の袖を引く。辿り着く場所が、天国であれ地獄であれ、強烈に惹きつけられるのだ。
斎は表情もなく、前を見ていた。
マーマレード色に染まる頬、光沢ある漆黒の黒髪、艶やかな唇に爛々と輝く瞳。
斎は全身全霊で自分の全てを主張していた。幻想的になればなるほど、斎は異様なほど美しくなる。通りすがりの人々も目を見張り、すれ違うたびに振り返っていく。
斎は神々しい燈篭の光ですら、自分に取り入れようとしていた。全ての美を搾取していく。その様子は壮絶で、残酷で、無茶苦茶だった。
もはや、僕の隣にいるのは人間ではない。
ああ、この世界にこれほどまでに綺麗なものがあるなんて。
どのような詩情でも、どんな画家でも、この情景を表現するに値しない。昔誰かが言っていた、まさにそれだ。
何も見ていない斎は綺麗だ。
それを思うと、どうしようもない切なさが僕を支配した。僕では到底、この瞳に映ることに値しないのか。
「…本来、巫子には性別がない。シャーマンと呼ばれる人々は、その無性的な存在によって、または象徴的な両性具有によって、男神とも女神ともに仕え、交わり、そして神を地上に降ろす。その時、彼らは神となる」
神の宣告のように、僕の耳に言葉が静かに流れた。
「…ああ?なんだ、それ」
「前に言ってたでしょ?ずっと前に」
「覚えてない。よく覚えたな」
「覚えてるよ…一挙一動、全部を覚えてる。嫌?」
「…どうして、急にそんなこと?」
「綺麗?」
「何が?」
「…何でもない、忘れて。全部、忘れて」
僕には意図することがわからなかった。ただ、このまま先に進めば斎とはぐれてしまうような気がした。だから、斎の手をしっかりと掴んだ。
細い手は僕を振り切ろうとした。
でも、僕は決して離さない。
「大丈夫だ。みんな、燈篭のほうに集中してる。誰も俺たちなんて見てないよ」
僕は嘘をついた。本当は、ほとんどの人が斎を見て通りすぎていく。神にすがる人のなんと多いことか。
神?
そうだ…思い出した。
「…綺麗だ」
そっと斎の覗きこむと、嬉しそうに微笑んでいた。そして、もう手を引き離そうとはしなかった。
いくつも灯る燈篭に目を向けることなく、僕たちは互いの瞳に映し出される灯りを見つめた。
永遠があるとしたら、この刹那だ。いや、もはや時間ではない。
この刹那に、人は生きていけるのだろうか。
ひどく驚いたことに、斎の瞳には僕が映っていた。ぼんやりと、しかし確実に。
僕はここにいた。
それまでの切なさなんて、帳消しになるくらい嬉しかった。煩雑な感情が、競り合いながら身体の中を上昇してくるのがわかった。
体が熱くなるのを、僕は感じていた。
神秘だ。きっと、一生に何度も出会えない神秘に対する慄きなんだ。
ふと、僕はこの時のためだけに生まれてきたんじゃないかと思った。
今宵のことを、僕は一生忘れないだろう。僕が斎の瞳に映った、刹那を。
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