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星さんは黙って立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールをもってくると、わたしの顔の前にそれを突き出した。
ふだんお酒を飲む習慣のないわたしはのろのろと腕を伸ばしてそれを受け取ったものの、持て余し気味にテーブルに戻す。
すかさず「飲め」と促され、その声の勢いに押されてプルタブを引いた。
プシュッと小気味よい音をたてて泡が溢れてくる。
零してはいけないと口で受け止めたら、あとはゴクゴクと一息に半分ほどを飲んでしまった。
その時に、分かった。
やっぱりこれはサトシさんの体なんだってことが。
ふだんのわたしならビールが美味しいと思ったことなんてない。
でも今はすごく美味しく感じる。
大盛りのラーメンも難なく胃に収まった。
星さんは二本目のビールを開けながら、机の下にあったノートパソコンを引っ張り出した。
「誰かに体当たりされたって言ったよな。とりあえずそいつ探してみよう。元に戻る手がかりが掴めるかもしれない」
ぼんやりしてるわたしと違って、星さんは早くも元に戻る方法を探し始めてくれていた。
どうやって探すのか見当もつかないわたしは、星さんの横ににじり寄ってノートパソコンを覗き込む。
「顔とか覚えてる?」
「何となく」
「じゃ、まずは似顔絵からだ」
星さんはそう言ってパソコンに平たい何かを接続し、ペンのような物を握る。
「それ、何?」
「ペンタブ。パソコンで絵を描いたりするデバイス」
パソコンの画面に立ち上がった真っ白な画面。
こんな感じ、とさらさらとイラストを描く。
その手際の良さと絵の上手さに驚いて、画面を食い入るように見ていた。
しかも星さんが描いたのはわたしの好きな漫画のキャラクターだった。
「わ、ジョットだ」
わたしの反応を楽しむように、星さんは次々と他のキャラクターの絵を描いていく。
わたしはその漫画のファンだったこともあって、今の状況を忘れてかなりはしゃいでいたかもしれない。
「わたし、この漫画めちゃくちゃ好き! 星さんも読んでるんですね。残念なことにネットでしか公開してないんですよね。本が出たら絶対買うのに!」
一緒に盛り上がるかと思ったのに、意外にも黙り込んでしまった星さん。
あぁ、今そんな場合じゃなかった。
謝ろうと星さんを見れば、何だか赤い顔で俯いている。
怒ったのかな?
「すみません。わたしったらこんな時に呑気に」
「・・・・・・いや、その顔とその声で言われんのが何か変な感じって言うか」
わたしっていう一人称のせい? ここはやっぱり俺っていうのに慣れた方がいいのかな。
明日からサトシさんとして行動するわけだし、なるべく男性っぽくしないと、サトシさんに変な噂がたったら困るよね。
「そ、そうか。悪い。これからは話し方気をつけ」
わたしが最後まで言い終える前に、星さんはお腹を抱えて床に転がり笑い始めた。
いや、もう本当に何がそんなにおかしいのか、数分間笑い続けたのちに、やっと笑いを収め、再びパソコンに向き直ると、何やら操作してまた別の画面を立ち上げた。
そこにはわたしがいつも読んでいたArk onのweb漫画『リピート』が映し出されている。
しかも、まだ読んだことのない最新話だ。うわ、読みたい、なんて思わず星さんを押しのけそうになったわたしの耳に、信じられない言葉が聞こえてきた。
「Ark onは俺とサトシのユニット名。つまり俺らがこのリピートの作者」
え?
星さんの言ったセリフが十回は頭の中を駆け巡った。まさにリピート。
Ark onはわたしがブラック企業で働いている時に唯一心の支えだった。その人が今目の前にいる?
わたしの、正確にはサトシさんの目にぶわりと涙が浮かぶ。
奇縁、世の中ではこういう出会いをそう呼ぶのかもしれない。
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