77人が本棚に入れています
本棚に追加
フワリと、サトシさんはわたしの前を横切った。
落ち着いた足取りで星さんの居る方へ歩いていく。そしてパソコンの前に座っている星さんに、あろう事か背中から抱きついた。
わたしは今、いったい何を見せられているのだろうか。
「あ、あれ、燿子ちゃん、どうしたの?」
焦る星さんの声。
いや、待って。それはわたしじゃない。
「そ、そりゃいきなり男の体に入ったりして不安だったよね。いや、でも、そのトイレ・・・・・・とか、そのこれからも再々あるわけだし、全然気にしなくてもいいと思うよ! サトシもそんなこと気にするような奴じゃないし」
あははは、という星さんの乾いた笑い声がやがてぐえーというような呻き声に変わる。
星さんの首に絡みつくサトシさんの逞しい上腕二頭筋が、ギュウギュウとその首を締め上げている。
星さんは顔を真っ赤にしながら、降参の合図にその腕をバシバシと叩く。
程なく解放された星さんがゲホゲホと咳き込んでいる間に、サトシさんはわたしの方に向き直った。
「三日間、体は貸してやる。魂が肉体から離れたまま長くその状態でいると元に戻れなくなる。長引けば肉体が死に至る。だから、できるだけ早く元に戻る方法を見つけろ。俺は常に体の中にいるし、必要な時には出てくる」
三日間。それがわたしに許されたタイムリミット。
「生きたいと願え。必ず戻れると信じるんだ。もし、少しでも死にたいと思うようなことがあったら、その時は俺の魂がおまえを喰い殺すことになる」
魂を喰い殺す……?
言われた言葉の意味を理解するには、あまりにも物騒で。
死にたい、その馴染み過ぎた言葉に視界が揺らぐ。
あの頃。
大学卒業と共に就職した会社で、毎日地獄のような日々を過ごしていたあの頃。
死にたい、その言葉は常にわたしの頭の中にあった。
会社を辞めた今。その言葉はわたしの中から遠ざかっていたはずだった。
急激に呼び起こされた記憶が、わたしの中の何かを狂わせる。
わたしは生きていたいのだろうか。
生きていてもいいのだろうか。
生きている必要があるのだろうか。
繰り返される問いに、何かがまとわりつくような感覚。
部屋の隅に澱んだ闇から這い上がる何かが、わたしをそこへ引き摺りこもうとする。
肉体を持たないわたしは容易に闇に囚われる。
「た、助けて」
サトシさんに縋るように伸ばした手は、直ぐに、しっかりと引き寄せられ、気がつけば再びわたしはサトシさんの目を通して世界を見ていた。
最初のコメントを投稿しよう!