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既に通話は切れていたらしく、星さんは着信履歴を確認して部屋に舞い戻る。
「たぶん、サトシの受け持ってるクラスの生徒だと思う。パソコンの中に住所があるはずだ」
そう言ってさっき閉じたばかりのノートパソコンではなく、机の上にあるデスクトップパソコンを立ち上げた。
すぐに学校関係のファイルは見つかったものの、パスワードがかけられている。
星さんも流石にパスワードまでは知らないらしく、他に何かないかと部屋の中を探し始めた。
「こっちからかけ直してみたらどうかな……」
そう提案してみるも、星さんからは的確な意見が返ってきた。
「もし、そいつが危険な状態にあって隠れてるんだとしたら、着信音が命取りになる場合もある。
住所が分かれば警察に通報できるし、こっちから助けに行けるだろ?」
「自宅にいるとは限らないんじゃ……」
「携帯の登録は固定電話だったから、多分家にいると思う」
な、なるほど。って、感心してる場合じゃない。
――サトシさん、生徒さんが大変みたいです。出てきてください!
心の中で呼びかけてみる。すると、わたしの腕がサトシさんの腕から浮き上がり始めた。
トイレの時みたいにドンと押し出される感じじゃなくて、ゆっくり少しずつ押し剥がすように、肉体から透明なわたしの腕が浮き出てくる。
肘から先がすっと抜けると、もうわたしは自分の意思で手を動かすことができなかった。
それはものすごく奇妙で、肘を枕に眠ってしまって腕が痺れきった時のような感覚に近い。
やがて、実体を持った方の腕はパソコンのキーボードを手探りで押し始めた。
そこにきて漸く、腕を動かしているのはサトシさんだと気付く。
サトシさんの手がパスワードを打ち終えると、名簿が開いた。それと同時に腕の感覚が戻る。
携帯に表示されていた名前を探し、手近にあった紙にメモする。
「星さん、住所分かりました!」
わたしにはいまいちその住所がどの辺りなのか分からない。星さんはさっと目を通すと、自分のスマートフォンで地図を確認する。
「あった。走って行ける距離だ」
は、走る?
「あ、もしもし。草間小の来島といいます。先ほど児童から助けてという電話がありまして。はい、こちらも今から向かいますが、念の為お願いします。住所は……」
星さんは手慣れた様子で110番し、わたしの背中をバシンと叩いた。
「やるじゃん! 燿子ちゃん」
正確にはわたしじゃないけど、今はそんなことはどうでもいい。
早く助けに行ってあげないと。
わたしたちは直ぐにアパートを出て、街灯が照らす夜の住宅街を走った。
「あのコンビニの裏手の家だ」
十分程走ったところで、星さんがスマートフォンを確認して指さす。
驚く程に体が軽やかだった。普段のわたしなら緊急事態とはいえ、到底男性に並んで走れるような体力はない。
元に戻ったら体を鍛えよう。そう決心しながら、宮前君のお宅の前まで歩いていった。
呼び鈴を押す前に外から中の様子を伺う。
子どもの泣き声がする。
明かりのついている窓の見える位置まで回って、フェンス越しに覗けば、レースのカーテンの隙間から人の動く様子が見えた。
やがて玄関の開く音がしたかと思えば、中から出てきた男性は玄関前に停めてあった車でどこかへ走り去った。
わたしたちは意を決して玄関のベルを鳴らした。
少し待ってみても、ドアが開かれる様子はない。ドアは鍵が掛かっていなかった。
「こんばんは。宮前さん、いらっしゃいますか?」
星さんと二人で交互に呼びかけていると、廊下の奥の暗がりから子どもがふらりと出てきた。
「先生!」
目が合うと、叫びながら飛び込んでくる。その小さな体を無意識に受け止めていた。
「お母さんが、……お母さんが死んじゃうよ。助けて」
その声を聞いて、星さんは直ぐに部屋の中へ入っていく。
「だ、大丈夫。先生が来たからもう大丈夫だよ」
震える体を撫でながら、何度もそう繰り返した。
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