ショッピングモール_1

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わたしは目の前にある素敵な靴をじっと見ていた。 先の尖った靴は足が痛くなるからいつもは履かない。 靴はわたしにとってどちらかというと、雑貨より洋服寄りだ。 要するに「素敵だ、欲しい」と思うものと、似合うものが別なのだ。 今、わたしの視線を惹き付けている靴は、わたしの足には似合わない華奢で華やかなハイヒール。 でも、少し試着するくらい良いよね? わたしは履いていたスニーカーを脱いで、そのハイヒールに足を入れようとして違和感を感じた。 全く入る気がしない。 足が大き過ぎる。 しかも、思わず隠したくなるほどの毛深さだった。 いくらわたしが喪女だったとしても、こんなにスネ毛伸び放題にした事はない。 これ本当にわたしの足? 「サトシ、何やってんの? それ、女物だけど.......。まさか女装癖に目覚めたとか.......?」 声がした方を向いて、知らない男性と目があった。 「えっ」 思わず口から漏れた声の低さにも驚いて、口を両手で抑えた。 「どうした? 気分悪いのか?」 心配そうに覗き込んでくるその人は、どうもわたしをサトシさんだと思っているようだ。 人違いです、そう言おうとした時、視界に入ったものが鏡に映った自分の姿だと、わたしは何故思ったのだろう。 驚きに目を見張る男性(・ ・)がそこにいた。 短い髪、日に焼けた肌、黒いTシャツに七分丈のカーゴパンツ。 がっしりした肩や二の腕は、アメフトとかラグビーの選手のようだ。 思わず腰が抜けて後ろに倒れそうになった。ちょうどそこにあった試着用の椅子に座り込む形になって、転ばずに済んだけれど、心臓はバクバクと暴れるし、頭が混乱して何が何か分からない。 「おい、本当に大丈夫かよ。顔色悪いぞ」 尚も心配そうに近付いてくる相手を、わたしは呆然と見上げる。 そしてはっと気が付いて通路へ走り出た。実際にはフラフラと慣れないコントローラーで操るゲームのキャラクターみたいな動きで。 ここは一階じゃない。 辺りを見回して自分が今いるのが2階のフロアだと分かった。 下を見る為に吹き抜けの方へ行こうとして足が竦む。 「おい、サトシ! どうしたんだよ?」 この体の持ち主の友人らしいその人に、わたしはすがるような目を向けた。 「さっき、誰か落ちなかった?」 「は?」 「だから、さっき3階から人が落ちなかった?」 「何変なこと言ってんの? さっきから変だぞ、おまえ」 その時、わっと巻き起こる拍手が聞こえ、さっき聞いたばかりのメロディが流れ始めた。 震える足を引きずって手すりに掴まる。 見下ろしたステージでは女の子達が何事も無かったように踊っていた。 ステージを取り囲む人々の群れは一様にステージを向いている。 わたしが落ちたであろうと思われる場所にも、横たわる人の姿は見えない。 さっきと同じ曲のサビを聴きながら、足はエスカレーターへ向かう。 3階の自分がいた場所へ行って確認しなきゃ。 自分のではない大きな足はふわふわと雲を踏むように覚束無い。 それでも走った。 もしまだ間に合うのなら。 何に? 分からない。 でも、今ならまだ間に合うような気がした。 あの瞬間に。 人混みをかき分けて、たどり着いたその場所で。 わたしの体は手すりのこちら側に倒れていた。 数歩手前で足が止まる。 あれは本当に自分だろうか。 わたしの意識は今、この名前も知らない男性の中にあって、自分を見ている。 こんなおかしな状況に、いったいどう対応したらいいのか、何かを考える余裕なんてとっくに失っている。 その時わたしの横をすり抜けて、わたしに駆け寄る母を見ていた。 なんだ、母も年相応に老けたな、なんて他人事みたいな感想が浮かんだ。 「(よう)ちゃん、燿ちゃん.......!」 わたしを呼ぶ母の声。 抱き起こされても、目を閉じたままぐったりしたわたしの体。 花巻 燿子。それがわたしの名前。 「お、おい、サトシ!」 後ろでこの体の持ち主の名前を呼んでいる声がする。 自分の体の傍にゆっくりとしゃがみこむ。母と向かい合う位置で、いつもより小さく見えるその姿に、 「お母さん」 .......お母さん、わたしはここにいるよ。 内心で叫んでみても、母に伝わるはずはない。 ぐったりとして目を閉じている自分の顔は、いつも鏡で見ている顔よりずっと他人のようだった。
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