病院_1

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――あ、これ、お母さんの好きなポテサラサンドだ。 母の好きな物を覚えている。そんなことが、今のわたしの支えだった。 迷わずに甘いカフェラテを選び、レジでもう一度サトシさんに心の中で謝りながらお金を払う。 ふと目を向けた先に、ガラスに映る自分の姿を見て一瞬狼狽える。 怒っているのか、哀れんでいるのか。サトシさんの真っ直ぐな目が、その身体の中にいるわたしを見ていた。 わたしより20センチは高いだろう身長。肩幅も胸板の厚さも、何もかもが違う。 ゴツゴツした手は大きくて、顔のパーツの一つ一つも、馴染んだ自分の顔とは少しも似たところがない。 それなのに、手足はわたしの意識に合わせて動き、物を見て、音を拾っている。 もし、このまま元に戻れなかったとしても、わたしはこのまま生きていくのだろうか。 本当のわたしを知らない人達の中で、他人のフリをして。 少し考えただけで、その途方もない苦しみに押しつぶされそうだった。 それに何より、サトシさんの人生を奪ってしまうことになる。 体を乗っ取ったあげく、助けてもらっていながら勝手に人のお金を使う女。 自分がどうしようもなく非常識な人間に思える。 だけど、この体が無ければ、こうして母を気遣うこともできない。 ――サトシさん、本当にごめんなさい。元に戻る方法が分かったら必ず体もお金もお返しします もし戻る方法が見つからなかったら。 わたしは首を振ってその考えを振り払った。 この奇妙で不可思議な体験に意味があるとするならば、わたしはわたしにできることを寸暇を惜しんでやるべきだ。 奇跡は何度も起きない。 会計を済ませてロビーに戻ると、誰もいないベンチに一人座り込む母の姿があった。 ――お母さん 思わず、そう呼んでしまいそうだった。 最後にした会話は何だっけ。 ――おばあちゃんの誕生日プレゼント、どっちがいいと思う? ――こっちの湯のみとお菓子のセットかな。 ――じゃあこっちにしよう。 たわいない会話の断片が過ぎる。それと同時に走ってくる男性の姿がフラッシュバックする。 この人を見つけなくちゃ。 唯一の手がかりだと思われるその人物を、必死に記憶に留めようと思い出す。 それと同時に、あの時の足元を掬われる恐怖が蘇ってきてわたしを苦しめた。
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