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ショッピングモール_1
「お買い物に行くけど、一緒に行く?」
たまの休みが重なると、母が買い物に誘ってくれる。ここでいう買い物は夕飯の材料などを買いに近くのスーパーへ行くそれではなく、ちょっと遠くの大型ショッピングセンターへのお出かけのことだ。
「行く!」
母は祖母への誕生日プレゼントを買うらしい。
お買い物に行けば何かしらの出会いがある。例えば、欲しい本が分かっている時はインターネットで注文する。歩き回って探す必要がなくてとても便利だ。でも本屋さんの棚に並ぶ大量の表紙の中から、ふと目に留まった一冊に手を伸ばす。その運命の瞬間はやっぱり自分の手で触れたいと思うのだ。
もちろん、本だけではない。洋服や小物だって、欲しいと思いながら買わずに帰って、二度と手に入らないこともある。運命の出会いとはそういうものだと思う。
なんて語ってみたけれど、要は何か素敵なものが欲しい。その何かによって単調な毎日がほんの少しだけ楽しくなるような何か。
なんの取り柄もないわたしを、ほんのちょっとだけ輝かせてくれる何か。
人によってはそれを無駄遣いと思う人もいるだろう。でも欲しいものを買わずにただ働くだけなんてむなしい。旅行が好きな人は旅行に行くだろうし、美味しいものを食べたいと思う人は高級レストランに行くだろう。
わたしにとってそれは本だったり、所謂『雑貨』と呼ばれる物たちと出会うことなのだ。
残念ながらデートできるような相手がいないだけ、なんてことは決してない!
ともあれ、道中母とおしゃべりする時間も何気に楽しい。友達や同僚に言ったら自慢ととられそうなことも、母になら気兼ねなく聞いてもらえる。
お互い日頃他人に言えないことを、偉そうに喋りまくってストレス発散をする。これが父相手だと何故かわたしが悪者にされてしまうので、余計にストレスが溜まることは学習済みだ。
そうやって40分程ドライブしたところで目的地についた。
広い駐車場で、車の位置を忘れないように記憶して二人並んで店内へ入る。
その日はイベントがあるらしく結構混んでいた。エントランスから入った中央には色とりどりの傘がディスプレイされ、あじさいの花が飾られている。親子のマネキンはレインコートに長靴姿。
梅雨の到来を前に最新のレイングッズがお出迎えだ。
3階までの吹き抜けには、このショッピングモールのマスコットキャラクターのマンモスが僅かに揺れながら下を見下ろしている。
少し進んで雑貨やギフト用品の並ぶ店に入る。
かわいらしいカエルのぬいぐるみに触れながら、順に棚の上を見ていく。
わたしは実のところ洋服にはそれほど興味がない。自分が「かわいい、欲しい」と思うものと、自分に似合うものがかけ離れていて、買い物に楽しみを見いだせないのだ。
子どもの頃は似合う似合わないに関わらず、好きなものを着ていた。でも就職して、仕事に着ていく服と家で着る服を分けて買うようになってからは、おきまりのブラウスとスーツか、楽なTシャツやトレーナーしか買わなくなった。
これもおしゃれしてデートに行くような相手がいないだけ、なんて言わないで!
その点、小物はいい。ちょっと派手だなと思う赤でもスマホケースやペンケースなら気負いなく持てる。今日もこれといって欲しいものがあるわけではなく、心にビビッとくる何かが現れるまで見て回るだけだ。
ぐるぐると店内を回って次の店へ。
上のフロアへ上がっていくうちに、おばあちゃんへのプレゼントを決めたらしく、母はレジでラッピング待ち。
わたしも前回のお買い物で母にプレゼントを買った。天然石のお店で見つけたローズクオーツのブレスレット。色白の母の手首に淡いピンクが馴染んでいる。
母を待つ間、1階のイベントが気になって、吹き抜けを見下ろせる通路から下を見ていた。
若い男性の列ができていて珍しいなと思ったのだ。たいていここで行われるイベントは親子連れが多い。今日は、いつもの子ども向けのキャラクターショーやお笑い芸人さんの巡業でもなさそうだ。
ちょうどショーが始まったのか、盛大な拍手が沸き起こり小さなステージにミニスカートの女の子達が現れた。
直ぐに軽快な音楽が流れ、女の子達のダンスが始まった。
短い曲が終わると、女の子達が代わる代わる喋り、時折観客からどっと笑い声が起きる。
3階まではトークの内容は聞こえてこないが、盛り上がっている様子は伺えた。
それを見るのにも飽きてきて、わたしは鞄から携帯電話を取り出そうと俯いた。
その時、後ろでキャッという悲鳴が聞こえた。
何気なく振り向いた目の前に、凄い勢いで走ってくる男性が見えた。途中何人もの人を押しのけながら、何かから逃げるように走ってくる。
後ろを気にして振り返りながら走ってくる男性は、その勢いのままわたしにぶつかってきた。避ける暇もなく、肩に強い衝撃を受け、背中が手すりにぶつかる。
わたしにぶつかった男性はしゃがみこんだかと思うとゆっくり立ち上がる。その手がわたしの両足を抱えこんでいた。
気が付いた時にはもう3階のフロアの手すりを見上げながら落ちていくところだった。
何が起きたのか分からない。
わたしの体は転落防止のための柵を飛び越えて、イベントに熱中する大勢の客の中へ真っ逆さまに落ちていく。
空中にぶら下がるキャラクターの巨大な風船を掠めて、あっという間にわたしの身体は一階まで落下した。風船がゆらゆらと揺れているのを見上げ、私はピクリとも動けずにいた。
不思議と痛みは感じなかった。
ただずっしりと重い。何か巨大な物が体の上に乗っているかのようだ。
大変なことになった。
そんな風に思いながらも、どうすることもできない。
頭の隅で母のことを思っていた。ものすごく驚いているに違いない。人前で恥ずかしげもなく泣くんじゃないかな、あの人は。今日、母の運転する車で一緒に帰れるのかな、わたし。
ざわざわと声がする。膜につつまれたようにどこかぼんやりその音を聞いている。大勢の人がわたしを見ているのだろうと思うと恥ずかしいような気もするけれど、落ちたくて落ちたわけじゃない。誰かが、おそらく故意にわたしを投げたのだ。
足に残る掴まれたような感触に恐怖を感じる。
知らない人だった。
恨まれるような覚えはない。
そんなことを冷静に考えている自分に驚く。
見上げる3階の手すりの高さからして、大けがを負ったか、下手したら死んでいたかもしれない。
わたしの下敷きになった人がいたら、その人たちも大けがをしたに違いない。
起き上がって状況を確認しなきゃ、と思うのに体が言うことを聞かない。
わたしはゆっくりと目を閉じた。
明るすぎる店内の照明を見上げることにも、耳元で騒ぎ立てる声にも疲れていた。
しばらくするとふわりと体が浮くような感じがした。
病院に運ばれるのかな。
完全に意識を手放す直前、誰かが「サトシ、サトシ」と呼ぶのが聞こえた。
巻き添えになった人の名前だろうか。大怪我したのかな。
そしてわたしは完全に意識を手放した。
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